天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓



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中山忠光
中山忠光


天誅組というのは、幕末動乱期に公卿中山忠光(なかやまただみつ)を主将とする尊皇攘夷派38名の浪士の武装革命集団です。
彼らは、文久3(1863)年8月17日に、幕府の大和国五条代官所(現、奈良県五條市)を襲撃し、代官の首を刎ね、代官所に火を放ったあと、桜井寺で「五条御政府」を名乗るのですが、幕府によって討伐され、壊滅しています。

ことの起こりは、文久2(1862)年12月にさかのぼります。
このとき朝廷から幕府に対し、攘夷(外国人を打ち払え)という勅書が授けられました。
ちなみにこの勅書、よく「孝明天皇から出された」と書いている本が多いのですが、間違いではないのですが、誤解を与え易いものなので、ちょっと注意が必要です。

というのは、我が国における天皇の存在は、あくまで権力者に認証を与えるという権力者の上位にあたる存在だからです。
ですから、もちろん勅書が孝明天皇のお名前で出されたことは間違いないのですが、それは「その時点における朝廷内の政治権力者の意向が攘夷であった」ということで、天皇のご意思が攘夷であったということとは意味が異なります。

我が国における天皇の存在は、Chinaの皇帝のような最上位の権力者とは異なります。
あくまで、その権力者に認証を与える権威というのが、天皇の存在です。
この点を間違えるから、孝明天皇は攘夷派だったのに明治天皇は開国したのはおかしいなどといった、怪しげな論説に粉動されたりします。
あくまでも、そのときの朝廷内の権力者が、攘夷派であったということであり、その権力者が孝明天皇の名で勅書を出したというのが、実際の流れです。

さてこの勅書に対して、幕府はなかなか回答を出しませんでした。
というより、出せない。
なぜなら、欧米列強の強力な国力軍事力に対抗するには、300年前の戦国時代の装備では対応できないことを幕府は知っていたからです。
欧米列強に対抗するためには、我が国自体が列強並みの国力・軍事力を確保し育てなければなりません。それには時間もかかる。
列強の火力の前に、刀剣をもって対抗しても歯がたたないことは、清国の阿片戦争が証明済みです。

けれど朝廷からは、矢のように攘夷の催促がおこなわれました。
やむなく幕府は、文久3(1863)年3月、攘夷決行を決定します。
そしてこの日、長州藩は攘夷実行の大義のもと、下関海峡を封鎖し、航行中の米仏商船に対して砲撃を加えています。

驚いた米仏は、約半月後、報復措置として下関海峡停泊中の長州軍艦を砲撃しました。
あっという間に、長州藩は敗北してしまいます。下関戦争です。

その下関戦争に、公家で、侍従長の中山忠光も参戦していました。
中山忠光は、権大納言中山忠能の七男で、平戸藩主・松浦清の娘・愛子を母に持ちます。
そして、明治天皇の生母・中山慶子様が姉にあたります。
つまり中山忠光は、明治天皇の母親の兄弟・・・つまり叔父にあたられる方です。

長州の敗北で、中山忠光は京へ戻りました。
けれど侍従の職務をほったらかして、勝手に長州藩の旗揚げに同道したことの責任を問われ、謹慎を命じられると、侍従職も剥奪されてしまいます。

中山忠光は野に下り、吉村寅太郎ら38名と決起を語らって京を出発、大阪の港を経由して、船で堺にわたりました。
この船中で、全員で髪を切って決意を示し「天誅組」の名乗りをあげます。

8月15日、一行は、堺の浜に上陸しました。
この場所が、現在の堺市堺区栄橋町の土居川沿いで、そこには「天誅組上陸の地の碑」が建てられています。

西村眞悟先生と天誅組上陸碑
天誅組碑文と西村眞悟先生


翌日一行は高野街道(現高野線沿いの街道)を通って河内をめざし、狭山に入りました。

ところで、天誅組はなぜ、堺へ上陸し、狭山を目指したのでしょう。
その足跡の詳細はわかっていませんが、ただ、天誅組の檄文をみると、おもしろいことがわかります。

=========
【檄文】
なにぶん干戈(かんか)を以って動かさざれば天下一新は致さず。
然りといえども、干戈(かんか)の手始めは諸侯決し難し。
すなわち基を開くは浪士の任なり。
=========
(意訳)
武器を持って立ち上がらなかったら、天下一新はできない。
しかし、本来、動くべき大名は、なかなか動こうとしない。
だから、時代を揺れ動かすのは、浪士の任務である。

つまり、彼らは「歴史を動かそう」としたわけです。
そのために堺の港に上陸し、大和の狭山に向かい、そこに「五条御政府」を打ち立てました。
この「五条御政府」は、政府を名乗ると同時に年貢の減免を実施しています。

場所が堺、大和の狭山、年貢の減免と続けば、その意図は明確です。
天誅組は、堺にある仁徳天皇御陵に手を合わせ、かまどの煙の故事にならって年貢の減免を行い、大和に新政府を打ち立てようとしたわけです。
つまり、その意図するところは、天皇親政の実現であったのだろうといわれています。

さて、堺で私財を処分して軍資金を作った古東領左衛門らと合流した天誅組一行は、武具を整え、菊の御紋の入った「七生賊滅天後照覧」と大書された幟一本をつくり、8月16日早朝に、高野街道を通って河内をめざしました。
そして大和の狭山に入った天誅組は、吉村寅太郎が軍使として狭山藩を訪問し、藩主北条氏燕との面会を申し出ています。

一介の浪人ものなら大名が会う必要はありません。
けれど、菊の御紋のはいった幟(のぼり)をうちたて、公家の中山忠光が一行の総裁とあれば、様子が違ってきます。
狭山藩は、協議の上、藩主は急病と偽って面会を断り、家老朝比奈縫殿が代って、面会に応じました。

面会の場で中山忠光は、家老の朝比奈に狭山藩も出陣して義挙に加わるよう命じます。
相談や説得ではありません。命令です。
対応に苦慮した狭山藩はとりあえず天誅組にゲーベル銃などの武具を贈り、天皇御親征(大和行幸)の際には、天皇方に加わると回答しました。

翌17日、天誅組は山中の間道を越えて、幕府天領である大和・五条の代官所を襲撃します。
そして幕府代官・鈴木源内の首を跳ねると、代官所に火を放つ。

18日、幕府天領である五条を「天朝直轄地」とし、この年の年貢を半減することを宣言、自らを「御政府」と称します(五条御政府宣言)。
そして隣国である高取藩に恭順勧告書を送って、高取藩を従えます。
この革命が成功していたら、その後の日本の首都は、大和か狭山になっていたかもしれません。

ところが、この8月18日、京都で政変が起こったのです。
会津、薩摩と気脈を通じた佐幕派の中川宮が巻き返しを図って、孝明天皇の攘夷祈願の大和行幸の延期と三条実美などの攘夷派公卿の参朝禁止し、長州藩の御門警護を解任したのです。

おどろいた長州藩は、宮門に駆けつけるのですが、そこには会津藩と薩摩藩が、がっちりと警護していて長州藩を御所に入らせない。
朝廷の勢力は、攘夷派から佐幕派へと移り、孝明天皇の大和行幸は中止、京の攘夷派はところを追われます(八月十八日の政変)。

朝廷が攘夷派だからこそ、天誅組の「五条御政府」は政権与党たりえるのです。
朝廷が佐幕派になれば、天誅組の「五条御政府」は、ただの暴徒です。
天誅組「五条御政府」は、一夜にして「追われる身」となってしまったのです。

挙兵の大義名分を失った天誅組は、天の辻の要害に本陣を移しました。
そして兵力強化のために、吉村寅太郎が五条の医師乾十郎とともに十津川郷(奈良県吉野郡十津川村)に入り、十津川郷士たちに反乱への加入を説きます。
そして野崎主計ら十津川郷士960人を徴兵する。
ですがこの徴兵は、かなり強制的かつ高圧的なものであったようです。

一方で、先に天誅組に恭順を約した高取藩も態度を急変させ、兵糧の差し出しを断ってきました。
兵力を増強した天誅組は、高取城の攻撃に向かいます。
天誅組方兵力1,000名に対し、二万五千石の小藩である高取藩の兵力はわずか200なのです。

ですから天誅組は「勝てる」と踏んでいました。
ところが地理を熟知していた高取藩に対し、天誅組に地の利がない。
加えて無理やり徴兵された十津川藩郷士たちの士気は低く、軍令に呼応しない。
高取城に襲いかかった天誅組は、わずかばかりの高取藩兵の銃砲撃を受けて混乱し、潰走してしまったのです。

やむなく一行は、天の辻の本陣へ戻りました。
そこへ幕府の命を受けた紀州藩、津藩、彦根藩、郡山藩などによる総勢1万4000の討伐軍がやってきます。
さらに9月1日には、朝廷からの天誅組追討の勅令が下されました。

上に、天皇の名で勅令は出されるが、その意思決定は朝廷内の政治権力の意向による、ということを書かせていただきましたが、孝明天皇のご意思がどのあたりにあるかではなく、あくまでも天皇が親任した、朝廷の権力者が、どういう意向であるかによって、天皇のご意向である勅令の方向は180度変わるということが、ここにも明確に現れています。
繰り返しになりますが、我が国における天皇は政治権力者ではなく、政治権力者にその権力を揮うための権威を与える存在である、ということです。
この点を見失うと、日本の国家体制の本質が見えてきません。

さて。9月7日になると、天誅組はやってきた幕府軍の先鋒の津藩兵と大日川で会戦しています。
天誅組は、民家に火を放ちました。戦場撹乱のためだったといわれています。
幕軍は、戦いよりも消火を優先しました。
そして鎮火後、いったん兵を五条へ引きます。

ここは大事なところです。
源平合戦の壇ノ浦の戦いでもそうですが、古来、日本における施政者となる者は、常に「民のためにある」という姿勢を崩していません。
ですからこのときの幕軍も、戦いよりも鎮火を優先しています。

南京城攻防戦で、China国民党の唐智生は、南京守備にあたって外国人記者に「我々は死ぬまで戦う決意である」と語っていますが、実際には、南京の市民の住宅地に日本軍が隠れることを怖れて城内の住宅地をすべて焼き払い、さらに南京に日本陸軍が攻撃を開始すると、ひとり先にいち早く逃げ出しています。

何のために戦うのか。
思想のためなのか、エリートたちの贅沢な暮らしのためなのか、民のためなのか。
その違いは、戦いにあたっての根幹の違いであろうかと思います。
たとえ、戦いであったとしても、どこまでも「民のため」ということを忘れなかった軍と、その一戦のためだけに、民の暮らしを犠牲にしても構わないと考えることと、そこには天地ほどの開きがあろうかと思います。

結局、天誅組は幕軍の前に善戦するものの、多勢に無勢はいかんともしがたく、また十津川郷士たちの戦意は、当初からまるで乏しく、14日には、吉村寅太郎らの守る天の辻を奪われ、19日には棟梁の中山忠光自身が、進退窮まって天誅組の解散を命じています。

そして天誅組の残党は、山中の難路を歩いて脱出を図るけれど、重傷を負っていた吉村寅太郎がこの時点で一行から脱落、24日には奈良県東吉野村の鷲家口で、紀州・彦根藩兵と遭遇して、中山忠光を逃すべく決死隊を編成して敵陣に突入した那須信吾らが討死、藤本鉄石も討死、負傷して失明していた松本奎堂も自刃。
一行から遅れて現場に到着した吉村寅太郎は、27日に鷲家谷で津藩兵に撃たれて戦死。
これによって天誅組は、実質、壊滅しました。

中山忠光は、辛くも敵の重囲をかいくぐり脱出に成功し、27日に大坂に到着して長州藩邸に匿われ、その後、長州に逃れて下関に隠れていたけれど、禁門の変のあと長州藩の恭順派によって元治元(1864)年11月に殺害されています。

天誅組の行動は、後に「大和義挙」と呼ばれますが、その行動の是非について、私は論ずる気はありません。
外国の脅威の前に攘夷を信じて行動を起こしたのは立派だ、と考える人もたくさんいるし(だからこそ「義挙」と呼ばれています)、志は立派でも、何の罪もない五条の代官を一方的に殺害して首を刎ね、事情のわかっていない十津川郷士を約千名も拉致し、幕軍が迫るや町に火を放って民の暮らしを破壊したことは到底許されるべきものではない、という人もいます。

ただ、歴史は「学ぶ」ためにある、というのが私の持論です。
天誅組の行動を通じて、我が国における天皇と施政者の関係、正しきを行うときに必要なことは何かなどを学ぶことは大切なことなのではないかと思います。

そうそう、ひとつ書いておかなければならないことがあります。

天誅組の総裁の中山忠光は、天誅組壊滅後、長州へ流れて、そこで恩地トミという女性と出会います。
二人は恋に落ち、トミは忠光が暗殺された後に、彼の子を産みます。
女の子で、名を恩地仲子といいました。

仲子は、長府藩の藩主、毛利氏の養女となり、父方の中山家に引き取られます。
忠光の正室・富子は、亡き夫の忘れ形見の仲子を大事に育て上げ、維新後、仲子は嵯峨公勝の夫人となり、子をもうけます。

その子が、「嵯峨浩(さが ひろ)」で、清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀(ふぎ)の弟である愛新覚羅溥傑(ふけつ)に嫁いだ日本人女性です。
溥傑と浩は、九段会館で挙式し、満洲で終戦を迎えました。

戦後、お二人はChinaと日本と離ればなれになりながらも、互いを信じ、愛する心を失わず、離ればなれになって15年後の1960年に再会、以後生涯にわたって仲のよいご夫婦としてお過ごしになりました。
祖父の忠光は、攘夷のために命を捧げた方でしたが、孫の浩は、日中友好のために生涯をお捧げになられています。

1987年に浩、1994年に溥傑が亡くなり、お二人のご遺骨は日中双方によって分骨され、日本側の遺骨は浩の祖父である中山忠光が祀られている山口県下関市の中山神社に納められています。

お二人の数奇な運命については、このブログの過去記事「国境を越えた愛・・・艱難辛苦を乗り越えて」にありますので、ご興味ある方はご一読ください。

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【西村眞悟】民主党政権と日本解体の行方[桜H21/12/17]


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コメント

No title
天誅組はテロリストではありません。孝明帝大和行幸の先陣を切ろうと集まった「烏合の衆」です。
のちに幹部になる人などは、忠光卿挙兵の噂を耳にし、50歳の初老の体を圧して徹夜で大和盆地を縦断したぐらいです。
五條代官もいきなり殺されたわけでは決してない。

なぜ、狭山に赴いたか。大阪狭山には富豪の町人がいて、全財産をこの一挙に費やさんと、忠光卿と連絡していたからです。大阪狭山藩もこの一団に武器食料を供出しています。
また、集まった天誅組隊士の多くが裕福な町人や文化人であることが、この義挙の特徴といえるでしょう。

十津川藩士の戦意の低さは、天誅組が一転して逆賊指定されたためです。また、天誅組に戦闘に必要な命令指示系統がなく、前線が本陣から取り残されるなどの不手際が相次いだことにもよります。

余談ですが、天誅組壊滅後、忠光卿が吉野を脱出したのち、大和盆地を大阪の長州藩屋敷に抜けた道筋は、天誅組を去ること150年前、近松門左衛門が名作に仕立てた「冥途の飛脚」の梅川忠兵衛の駆け落ちルート、同じ道筋の全く逆ルートだったりします。

鶴ヶ魂

No title
天誅組って結局ただのテロリストなんでしょ?
そんな連中を持ち上げるのはテロを容認する事だ。

りょうこ

NHKは
日本国民に真実を隠す作業をしているのですね。
国会中継を怠るし・・・

ototo9

田村議員質疑打ち切り強行採決!3/3  10分過ぎより
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10000235
ニコニコ動画のアカウントをお持ちでない方は
私のブログを見てください。

-

No title
ねずきちブログをご覧になってるみなさま、皆さんも自分の選挙地区への立候補者応援を始めましょうね。
民主党の批判でもいいから。チラシ、ポス、何でもいい。
民主党、公明党をぶっ潰す千載一遇のチャンスであり日本の再興の決戦ですね。

「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」 !!

山河

水間条項から一部転載
水間条項から、http://blog.goo.ne.jp/mizumajyoukou

あとは、覚醒しているインターネットユーザーの皆様方の熱い思いを受け止めることが出来る、「新党」発足の雷鳴が轟く瞬間を待つだけになっております。

日本が崩壊するも再興するも、参議院選挙の帰趨によってすべてが決します。

その「熱風」を起こすには、皆様方のお力添えが最大の力になりますので、何卒、宜しくお願い申し上げます。

尚、日本再興の聖地は、麻生太郎元首相のお力添えもあり、準備万端整えてありますので近々明らかにします。

MMR

No title
村西利恵
「イスラエルによるイランの空爆が、これ、イギリス人のアナリストによりますと、『いつ始まってもおかしくない。今日でも明日にでも…。そうなったら新たな石油危機だ』と」

青山繁晴
「はい。これね、今日時間がなくて地図用意しませんでしたが、ま、イスラエルはこの辺(左)にあってですよ、イランここ(右下)にあるわけですけども、真ん中にペルシャ湾を挟んでるわけですね。そしてイランが核兵器を持っていったら、要するにイスラエルは自分の国が危ないって心配するから、イランの核兵器が出来上がってしまうまでに、イスラエル空軍のこのF16、これ実はちっちゃな核兵器も積めるんですが、その、爆撃をして、イランのそういう原子力施設を全部壊してしまおうってことを、前からもう公然と訓練してきたんですよ。そして、オバマ大統領が対話対話って言ってる間に、イランの核開発がどんどんどんどん進んでいったから、この英国人アナリスト、これはまあ僕の長い、あの、親友ですけれども、彼、本当に冷静な人なんですが、もう今日でもおかしくないって言ってるわけです。」

青山繁晴
「沖縄県普天間の海兵隊っていうのは、中国とそれから朝鮮半島をにらんだ最前線」

((予言ですので...))

ブルガリアの予言者ババ・バンガ
2010年の11月から第三次大戦は中東で始まり、2011年の夏には北欧の国をロシアが侵略することにより、ロシアによるヨーロッパ侵攻は本格的になり、2014年の10月に終わると予言

ビリー・マイヤーの予言
世界大戦はある年の11月、約5年間の集中的な準備の後に起こるだろうが、さらに4年間の漠然とした準備期間がそれに先行している。 
もしも戦争が実際に起こるとすれば、それは3年と11ヶ月間、つまり4年目の10月に終わることになるだろう。

-

No title
日本の終わりが見えてきた
後、5年も もたんな

Z

No title
もう血を流すしかないかもな

おっとととんの~とっぽっぽ

No title
素晴らしいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。

要点をまとめてみた。
現在「子供手当て」で問題になっているのは、“日本に住んでいない外国人の子弟”に対して手当が支給される事です。

日本に住んでいるならまだ解りますが。

という事で、多くの人が怒ってる。

影丸

No title
自民党はアメリカの保護国政権だった。
民主党は韓国中国の植民地政権。
どうせ政治は変わらないというのは保護国政権が継続
しているときの話。
外国人参政権、夫婦別姓反対といっしょに、民主党政権
解散デモを行っていくべきですね。

JPN

No title
【子ども手当問題】 「日本人の税金なのに…」 外国人への支給、埼玉県だけで2億円超

子ども手当 在日外国人の海外の子へ2億円超 県が試算 「日本の税金で」疑問の声

民主党政権が2010年度導入を目指している「子ども手当」のうち、在日外国人の海外に住む子どもに支給される総額が、県内では年間約2億1840万円に上ることが県の試算で明らかになった。鳩山首相は11年度からの見直しを示唆しているものの、「日本人の税金で、海外の外国籍の子にお金を払うのはおかしい」(自民党県議)との声があがっている。

国会で審議中の子ども手当法案は、対象を日本人に限定せず、日本に居住する外国人の子どもにも支給される。子どもの居住場所に要件はないため、母国などに住む外国人の子どもも手当を受け取ることができる仕組みになっている。

支給額は月2万6000円で、10年度は半額の1万3000円。現在の児童手当を基にした県こども安全課の試算では、県内の対象者は約97万6000人で、年間支給総額は約1522億5600万円になる。

外国籍の子どもは約1万5000人(約23億4000万円)で、このうち外国に居住する約1400人に対しては約2億1840万円が支給される計算だ。

子ども手当は、現行の児童手当に上乗せする形で支給されるため、県は児童手当の地方負担分として約157億円を10年度当初予算案に計上している。所得制限撤廃などに伴い、前年度比で約20億円増えている。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20100311-OYT8T01120.htm

外国人への支給、埼玉県だけで2億円超
外国人への支給、埼玉県だけで2億円超
外国人への支給、埼玉県だけで2億円超

外人にばらまき、日本人を救わない 馬鹿か民主党
仕分けでチマチマ削るのが馬鹿らしくなる

鳩山は本気で日本潰す

日本国民は目を覚ませよ!!!

愛信

アコム、11日は連日の急伸、「公明党の与党接近に絡む思惑買い」との見方も
アコム、11日は連日の急伸、「公明党の与党接近に絡む思惑買い」との見方も
http://www.morningstar.co.jp/portal/RncNewsDetailAction.do?rncNo=237341
10日の市場では、「民主党と公明党の接近による思惑があるのではないか。
ノンバンクに対して強硬姿勢を取る国民新党と民主党の関係が微妙になるとし
て、6月に予定される改正貸金業法の完全施行が緩和されるのではとの期待
感が広がった可能性もある。

公明党が躍進すると消費者金融が元気になる、日本人社会の破壊者の
正体を如実に語るニュースです。

【株式ニュース】
http://www.aixin.jp/axbbs/jsks/jsks.cgi
【株式ニュース・タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

?

No title
ニホンという国のありがたさ、素晴らしさ、凄さがわかってない日本人が、老若男女問わず多すぎますよ、、、

外国へいったことのない人が多いからでしょうか?外国人と深く付き合ったことが無い人が多いからでしょうか?
海外旅行といっても、ツアーの数日程度では駄目です。

義務教育期間に、せめて成人までに一ヶ月、外国(先進国と発展途上国両方)に留学させるべきです。
立派な祖国があって、本当にありがたいとすぐに気がつきます。自分は日本という素晴らしい国に守られていたんだと、すぐに分かる。


子供手当て、なんてふざけたことを、、、これも全て政治に無関心な大人が多いからです。民主に投票した人間がいたからです。
主婦でもビジネスマンでもOLでも、、、外見大人でも中身は幼児、という人間が増えすぎました。大人なのに政治に無関心、自分の国を歴史を知らない、、、それを恥とも思わない。


自分は数年前から、ネットで何かが変わると期待していたのですが、、、政治に無関心の人はたとえネットをしても、政治だのは難しいといって見ようとしないですね、、

共通一次世代

No title
日本語は「国語」というのに、なぜ日本史を「国史」と言わないのでしょうか。

日の丸がなくなっても本当にそれでいいとみんな思うのでしょうか。

この国で他の国の習慣や主義主張をナニも考えずにすべて受け入れて、それで今のちゃんとした社会が続くと本当に思っているんでしょうか。

個々人の自分らしさを持つのは構わない。だけど、それをみんなが規律を持って生きていく社会生活という枠の中ではみ出すように出してしまえば、今のような日本の社会生活は営むことなんかできるんでしょうか。

正確な時間に到着し、主発する電車、ゴミの収集、その他、これほどまっとうな生活ができる国が他にあるんでしょうか。
それを破壊するのは誰なんでしょうか。

自分たちは日本という国家がなければ生きてはいかれない。
日本という国が壊れてしまったら、日の丸を失ってしまったら・・。

そう思うと恐ろしく不安に陥ります。

日本という国が日本人を見捨てる、日本人の味方でなくなる。
こんな恐ろしいことはありません・・。

林 勝昭

大塩平八郎の件
大変よく勉強をされていていつも感心しています。
 大塩平八郎は家茂のとき反乱を起こしたのではないはずです。家斉からいら家慶に変わったときです。私も、陽明学を知りたくて幕末だと思っていました。勘違いだと思います。

-

・・・
今の日本はいつになったら政変が起きるのしょうか?4年後では手遅れになってしまいそう・・・
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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