セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

セヴァストポリ
セヴァストポリ


要塞戦のことを書いてみようと思います。

要塞というのは、戦略上重要な拠点を確保するために、平時に築く恒久的な軍事建造物です。

高度な耐久性と防御力を有し、まさに難攻不落に築城することから、「陣地」と区別して「要塞」と呼ばれます。

「城」とも異なります。城は行政機能を持つけれど、「要塞」には、それがありません。

日本では、加藤清正で有名な熊本城などが難攻不落の「城」とされてますが、その「城」から行政上の機能と、見た目の権威性を排除して、戦いを制することだけに特化して築城されるものが「要塞」といえるかもしれません。

築かれれる場所は戦略的要衝です。とうぜんそこは戦地となります。
しかも、そもそも難攻不落に築城してあるのですから、当然そこは激戦地となる。

「セヴァストポリ要塞」という有名な要塞があります。

ここは、黒海の北側に面し、アゾフ海と分かつ、戦略上の要衝地です。

そしてこの要塞は、安政元(1854)年から安政3(1856)年に行われた「クリミア戦争」と、昭和16(1941)年からはじまる第二次世界大戦のときと、2回にわたって大激戦が行われたところでもあります。

日本でいったら幕末期にあたる頃に行われた「クリミア戦争」といえば、ヨーロッパではナポレオン後に起こった第二次世界大戦に匹敵する大戦争です。

フランス、大英帝国、オスマン帝国、サルデーニャ王国と、とロシアが戦い、戦火は、ドナウ川周辺、クリミア半島、からカムチャツカ半島にまで及んでいます。

このとき、最大の戦闘が行われたのが、「セヴァストポリ要塞戦」です。

クリミア戦争のセヴァストポリ要塞戦
クリミア戦争のセヴァストポリ要塞戦


当時、ロシアの黒海艦隊は、セヴァストポリを根拠地としていました。

当時の戦闘艦隊は蒸気船です。
海に出れば無敵の艦隊でも、港に停泊したら、次に出航するまで、釜を焚いて、エンジンが暖まるまでものすごく時間がかかる。

しかも揺れる船からの砲撃は当たりにくいけれど、陸上からの砲撃は正確です。
要するに、ロシア黒海艦隊が停泊中に敵に攻め込まれたら、あっという間に艦隊が壊滅してしまうから、これを守るために、ロシアはセヴァストポリに、難攻不落の要塞を構築します。

堅牢な要塞そのものに加え、周辺には数千箇所のトーチカをはりめぐらし、万一敵が要塞に達したとしても、内部には二重に堀がめぐらされ、その掘には、上向きの槍を連ねた落とし穴まで用意されている。

内部は、迷路が張り巡らされ、そこを通った敵兵は、壁から繰り出される銃弾で、全滅させられる。
つまり難攻不落の要塞なのです。

安政元(1854)年10月17日、この要塞に英・仏・オスマン帝国の連合軍17万5千が襲いかかります。

要塞守備隊は8万5千。

背後に海を控えていることから、ロシア守備隊は、後背から補給を得、またロシア黒海艦隊も、敵に向かって艦砲射撃を繰り返す。

これに対し、連合軍は、砲撃と歩兵突撃によって、トーチカをひとつひとつ奪い、徐々に要塞に迫ります。

戦いはほぼ1年にわたって続きます。
最終的には、安政2(1855)年9月11日に、連合軍の突撃によって要塞は陥落します。

ロシア軍はセヴァストポリから撤退。
港を失ったロシア黒海艦隊は無力化。

そして、連合軍が黒海の制海権を得ます。

ただし、この要塞戦による連合軍側の死者12万8千名、ロシア側の死者10万2千名、両軍合わせて、23万人の死者を出している。

23万人です。青年期の男たち23万人の死というのは、100万人の都市ひとつが壊滅したに等しい。

要塞戦というのは、それほどまでに過酷なものなのです。


セヴァストポリで起こった2回目の要塞攻防戦は、クリミア戦争の86年後、昭和16(1941)年からはじまる第二次世界大戦で再発します。

昭和17(1942)年6月、ナチス・ドイツは、ソビエト連邦カフカス地方へ侵入するために(ブラウ作戦)、その手前にあるセヴァストポリ要塞の制圧に出ます。

黒海の制海権の確保、ならびに、ソ連カフカス地方への侵入路の確保のためです。

この時代、セヴァストポリを確保していたソ連は、セヴァストポリ要塞をソ連随一、世界最強の要塞として防備を厚くしていました。

そこにナチス・ドイツのクリミア半島の制圧を任されたエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥率いる第11軍がやってきます。

エーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥


エーリッヒ・フォン・マンシュタイン陸軍元帥という人は、第二次世界大戦における世界の陸将の中で、最も有能な将帥の一人として知られている人です。

彼は、西方電撃戦の立案者でもあり、クリミア半島とレニングラード攻撃を指揮し、スターリングラード攻防戦後に優位に立ったソ連軍の攻勢を食い止め、第三次ハリコフ攻防戦でハリコフを陥落させている。

彼はヒトラーに対してもはっきりと意見を開陳する数少ない将軍であり、その名将ぶりは戦時中のアメリカでも知られ、タイム誌でも醜悪な顔に描かれることなく、常に毅然とした顔で表紙を飾り、「我らの最も恐るべき敵」と評されている。

その、世界の陸将中、最も優秀とされるマンシュタイン元帥が、ナチス・ドイツの精鋭である第11軍を率いて、セヴァストポリ要塞を囲んだのです。

マンシュタイン元帥は、昭和16(1941)年9月24日からの3日間の大激戦の末、クリミア半島東部のケルチ半島、南部のヤルタを制圧し、セヴァストポリ要塞を包囲します。

包囲を受けたソ連軍は、セヴァストポリの防衛のため、黒海艦隊から海軍陸戦隊をケルチ半島に上陸させる。

ソ連上陸部隊は、クリミア半島東端のケルチにいたドイツ歩兵師団を包囲し、これに対して猛攻撃を加える。

放置しておいたらケルチ歩兵師団は全滅し、セヴァストポリ包囲隊は、退路を断たれてしまいます。
マンシュタイン元帥は、セヴァストポリの包囲を解いて反撃に出る(トラッペンヤクト作戦)。

ところがソ連軍は、両側を海に挟まれた細長い地形を利用し、何重もの防衛線をひいて、これを阻止する。

8か月もの長きにわたって続いたこの戦いは、それでも通常の陸戦であり、セヴァストポリ要塞戦の前哨戦でしかなかったのです。

ソ連上陸部隊を粉砕したドイツ11軍は、昭和17(1947)6月7日、ふたたびセヴァストポリを包囲します。

しかし、ソ連は、要塞の守備のため、ドイツ11軍がケルチ攻防戦に向かっている間に、多数の巨大砲塔を要塞北面の据え付け、待ち構えていた。

この砲塔は、戦艦の主砲を陸上に設置したもので、地下に旋回装置・弾薬庫・自動装填装置・兵員の居住区が設けられており、しかも周囲にはトーチカ群が設けられており、いっさいの敵を寄せ付けない。

砲弾の威力は、要するに艦砲射撃そのものです。
人間の背丈より高い巨大な炸裂弾が、陸戦隊のもとに降ってくる。

しかも海上からの砲撃と異なり、固定した陸上からの砲撃は、狙いが正確です。

離れて包囲すれば巨大砲弾にやられ、近づいて爆破しようとすれば、群がるトーチカ群からの機銃攻撃によって、射殺される。

マンシュタイン元帥は、近隣から新旧・大小問わず1,300門もの大砲をかき集め、猛砲撃を加えます。

さらにドイツ本国から80cm列車砲「グスタフ」を持ち込む。
グスタフは、鉄道のレールの上に設置する80cm40口径の大砲で、最大射程47km、弾薬は榴弾に徹甲榴弾をも使用する。

巨大列車砲は旋回できないという問題があったけれど、マンシュタインは、鉄道のレールそのものをゆるやかにカーブさせることで、射角を確保した。

戦艦から取り外した主砲を陸上に備え付けた巨大砲塔対グスタフ列車砲の戦い。

巨大砲弾が飛び交う砲撃船で、砲塔の移動が可能なドイツ列車砲が、次第に威力を発揮します。

マンシュタイン元帥は、グスタフ砲で開けた突破口から、短射程の砲を突入させてトーチカを破壊、そこに歩兵を突入させるという方法で、しらみつぶしにひとつひとつの敵陣地を撃破します。

さらにロケット砲によるトーチカ攻撃、さらには急降下爆撃機による空襲も加え、周辺のソ連巨大砲塔軍に戦いを挑みます。

この攻撃はまる5日間も続き、これによってマンシュタインの第11軍は、セヴァストポリ要塞北面のソ連軍陣地を全て破壊します。

そしていよいよセヴァストポリ要塞に迫る。

そして戦うこと2週間、セヴァストポリ要塞は陥落しています。

この戦いに、ナチス・ドイツが投入した兵力は35万人以上。
そして戦死者は、この戦いだけで10万人以上です。

35万人を投入して、兵の三分の一が死亡した。

要塞戦というものは、それほどまでに過酷なものなのです。


もうひとつ、忘れてはならない要塞戦をご紹介します。

フランスの「ベルダンの戦い」です。

この戦いは、第一次世界大戦の最中の大正5(1916)年2月21日に始まったり、両軍合わせて70万人以上の死傷者を出した。

戦ったのは、ナチスになる以前のドイツ帝国軍とフランス軍です。

ドイツ帝国の参謀総長エーリッヒ・フォン・ファルケンハインの発案により目標をパリへと続く街道にあるヴェルダンと定め、この地の攻略はドイツ帝国の皇太子ウルヘルムが担当します。

大正5(1916)年2月21日、ドイツ軍は重砲808門、野砲300門でベルダン要塞に猛烈な砲撃を開始します。

午前7時から始まったこの砲撃は、午後4時まで、まる10時間も続きます。
蟻の這い出る隙もないほどの絨毯砲撃です。

そして正面から歩兵が突撃する。

通常、歩兵部隊の突撃は、敵前100メートルの位地から行うのだそうです。
ところが、ウルヘルム皇太子は、これを500メートルの位地から、吶喊攻撃を敢行した。

さらにドイツ軍は、横方向からも蚕食的な攻撃を行う。

これにより、翌日にはドイツ軍はフランス軍第1陣地の3拠点を奪取し、さらに翌日には隣接する両翼の2拠点を奪取、4日目には第2陣地を突破し、さらに翌日には隣接する数拠点を占領。

そして第3陣地の一部であるドォーモン堡塁を占領する。

初戦の敗退に危機感を抱いたフランス軍は、22日、第2線師団を招いて逐次第1線師団と交代し、新鋭部隊でドイツ軍に対抗します。

さらにベテランのペタン将軍を招いて戦意を向上させ、徹底抗戦を図ります。

両軍はミューズ川をはさんで、執拗な争奪戦を行い、特にヴォー堡塁および死人の丘では、惨烈極まりない戦いが展開される。

6月7日になって、ついにドイツ軍はヴォー堡塁を占領するけれど、英国軍がドイツ軍の背後をうかがうようになる。

8月にはいると、フランス軍が反転攻勢に出て、10月24日と12月15日の総攻撃で、フランスは、ドォーモン堡塁とヴォー堡塁などの失地を回復します。

このベルダンの戦いにおける死者は、フランス軍362,000人、ドイツ軍336,000人、合計、698,000人です。

近代戦における要塞戦というものは、かくもすさまじい戦いになる。


そして、ソ連のスターリンが、ご紹介した「セヴァストポリ要塞を6つ合わせたほどの堅牢な要塞」と評したのが、大連港にある旅順要塞です。


いま、NHKで、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が大河ドラマとして放映されています。
日露戦争の話です。

日露戦争の戦いといえば、旅順要塞攻防戦、奉天戦、日本海海戦が、有名です。
このうち、旅順要塞攻防戦は、乃木大将が担当した戦いです。

司馬遼太郎は、この乃木大将があまりお好きでなかったようで、乃木将軍は部下をただやみくもに死なせた無能な将軍として描いています。

司馬遼太郎は好きな作家です。彼の書いたものは、街道を行くの一部以外、おそらく全部読んでいると思います。

ただし、彼は小説家です。そして「坂の上の雲」も小説です。小説に事実でないことが書かれていているのは当然のことです。
問題は、小説の記述をそのまま信じる側にあります。

旅順要塞攻防戦におけるロシア側兵力は、6万3千です。

そして日本軍は、明治37(1904)年8月19日~明治38(1905)年1月1日まで、四ヶ月半の攻防の結果、1万5千名の死者を出した。

おかしいと思いませんか?

乃木希典大将
乃木希典大将


第一次世界大戦におけるセヴァストポリ要塞戦では、10か月におよぶ攻防戦で、要塞を攻める側のドイツは、攻撃側のドイツ軍は、12万8千名の死者を出している。

そのセヴァストポリの要塞戦の、6倍の堅牢さを誇る旅順要塞は、わずか4ヶ月半の戦いで、しかも日本軍の死亡者は、1万5400名と、セヴァストポリの十分の一です。

第一次世界大戦のセヴァストポリの戦いと、旅順攻防戦の両方から様々な事実を学んだ後に行われた、第二次世界大戦におけるセヴァストポリ要塞攻防戦では、攻める側のナチスドイツの死亡者は10万人、しかも10か月の長期戦となっている。

第一次対戦のフランスのベルダン要塞攻防戦では、両軍合わせて死者70万人です。

繰り返しますが、旅順要塞攻防戦における日本側死者は、1万5千名です。

なるほど旅順要塞攻防戦だけをみれば、日本軍は多くの将兵を失うたいへんな戦いを挑んだし、兵の損耗はたいへんな数にのぼるものです。

しかし、世界の要塞戦の中では、これだけ堅牢無比な戦略要塞を攻めながら、わずか4カ月半で、しかも、他の要塞戦からみたら、わずか十分の一、二十四分の一の兵の損耗で、これを落城させている。

司馬遼太郎の小説では、無能な乃木将軍が、ただやみくもに兵を突撃させるだけだったものを、児玉源太郎が20センチ砲をお台場から取り寄せることで、あっという間に要塞が陥落したように書かれています。

しかし、セヴァストポリ要塞や、ベルダン要塞戦にあきらかなように、要塞戦というのは、大砲撃てばなんとかなるというような、そんなナマやさしいものではない、

小説にはなぜか登場しないけれど、実際には旅順要塞戦では、地面の下に坑道を掘って、旅順要塞の内側から崩壊させるという戦法などもとられています。

旅順要塞攻防戦の日本軍の勝利は、そういう様々な陸戦の技術と、勇猛果敢な日本兵、そしてそれらの兵の気持ちをひとつにまとめあげる乃木大将がいたからこそできた、実は、世界に冠たる大勝利戦であったのだといいきることができます。

しかも、乃木大将は、自らの子を二人、この戦争でなくされただけでなく、戦後、なくなられた兵、ひとりひとりのために、弔問の旅などもされている。

当時、日本軍の給料というものは、将軍クラスと兵卒で、わずか2倍程度の給料の格差しかなかったのです。

乃木希典は、そのわずかな給料の中から、弔問のための費用をねん出した。

だから、奥さんの静子婦人も、そこらの女中さんのようなみすぼらしい服をいつも来ていた。

金や給料よりも、もっともっと大切なものを大事にされるお方だったからこそ、兵たちはこの大将のもとなら、ついていける。この大将のモトなら俺は死ねる。
そう思って戦ったのです。

ロシアの、当時の文書には、満洲を制圧後、朝鮮半島を占領し、そのうえで日本を従えて太平洋に打って出る、とはっきりとそう書いてある。

もしそれが実現していれば、日本人はいまごろ、ロシアの奴隷です。
そして東亜の国々も、21世紀のいまなお、貧窮のどん底の、植民地奴隷でいたであろうと思われる。

日本の独立を守りぬき、死力を尽くして戦い、世界の戦史上、輝かしい戦果となっている旅順要塞攻防戦、そしてそれを指揮した乃木大将について、歴史家は、司馬遼太郎の小説や、NHKの大河ドラマ史観ではなく、ちゃんとした眼を見開いて、再度、検証してもらいたいものだと思います。

しかもね、乃木大将は、敵の将軍ステッセルにも最大の敬意を表し、さらには捕虜にして日本に連れ帰ったロシア兵に最大の歓待をしています。

ロシア兵が収容された宿舎には、常に煌々と電気が灯っていた。
ところが、周辺の町には、灯りがなく、いつも真っ暗。

不思議に思ったロシア兵が聞いたそうです。
「どうして周囲の町は真っ暗なのですか?」

収容所の兵が答えた。
「これが普通の状態です」

「われわれは貧しいのです。しかし、陛下を思う気持ちは、誰にも負けません」

それを聞いたロシア兵は、日本の強さの原因は、まさにここにあると思ったといいます。

そうした時代の心を、わたしたち現代に生きる日本人は、もういちど思い返してみる必要があると思うのです。

 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

二百三高地


日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
①ハンドルネーム
②お住まいの都道府県
③メールアドレス

の3つを書いて、assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
日本の心をつたえる会ロゴ

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんの学ぼう日本の最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

遠藤

No title
小生の曽祖父も203高地の戦いで金鵄勲章を得ています。
乃木大将は人物高潔なれど、戦略家としては疑問符がつくところです。しかし、乃木大将がただの凡将であったなら、第三軍十数万の将兵はその命令に従ったでしょうか、、、
犠牲者一万五千人との記述が見られますが、旅順攻防戦での全戦死者は五万八千名と聞いています。
二○三高地は単なる囮などではなく、この攻防戦においては戦略的に最大のキーポイントとなる重要拠点です。
ここに観測地点をおいて高地越しに砲弾を撃ち込めば旅順要塞もロシア艦隊も殲滅できます。この重要拠点をロシアが防衛線を固める前に占領し得なかったことは大きなミスで、多くの将兵の命を戦場に散らせる結果になったことは痛恨の極みです。

六郎

No title
旅順要塞は大砲の発達を考え、要塞の外に三重の塹壕を築いて防衛線を展開していました。
歩兵が携行できる銃器が急速に発達していたため、歩兵が塹壕に篭るだけでそこは堅固な砦と化すためです。
他の人のコメントで「性能が低い機関銃」と書かれていますが、それは後の時代の銃器と比べての話で、これより前の時代と比べれば銃器は精度も威力も大幅に向上していました。
そして後の第一次世界大戦では、この塹壕を突破するために戦車や飛行機、化学兵器が投入されました。しかし日露戦争の頃はこれらの兵器はまだ未発達でした。

日露戦争から第一次世界の初期までの時代は、大砲の発達が城壁の価値を下げ、銃器の発達が歩兵の火力を強化し塹壕の価値を高めていった時代でした。

ロシア軍はさらに防衛機能(指揮所、兵舎、武器弾薬の倉庫等)を各ポイントに分散し、、もし中心部を制圧されたとしてもロシア軍はなお抵抗できるという防衛体制でした。
実際、日本軍は203高地よりも旅順に近い山々を先に制圧して旅順に砲撃を加えましたが、旅順は陥落しませんでした。

上記を理解していた現場の乃木司令部は敵をより多く殺傷し、ロシア側の兵力が戦闘続行不可能になるほど減少するよう努めました。
逆にロシア軍は要塞外に防衛戦を張り出していたから徐々に後退しつつ日本軍に損害を与えればよかったのですが、拠点を奪われる度に即奪回しようと突撃し、大きな損害を出しました。
蛮勇と言われてしまうかもしれませんが、味方がやられるのを見て黙ってはいられないという勇気は尊敬すべきものだと思います。
そして乃木将軍が見出した旅順攻略の鍵はまさにそのロシア将兵の気質と、後退を恥とするロシア軍の気風でした。

日本軍は各防衛地点の争奪を通じてロシア兵に出血を強いることでロシア軍の兵力を急速に削っていきました。
この方法では自軍からも多大な犠牲を出すことになります。しかし当時の兵器の威力では、他に旅順を攻め落とす方法はありませんでした。

ところで児玉源太郎参謀総長が203高地の攻撃を主張したのは、あの高地にロシア軍を誘き寄せ、密集した敵兵に砲撃を加えて効率良く殺傷するためでした。
高地から旅順を砲撃するためではありません。
砲撃ポイントは東にもあり、その山々は要塞攻略戦の初期の段階で日本軍が占領していました。
203高地を囮にしてロシア軍を誘き出す作戦は先に乃木司令部が発案して準備していましたから、児玉源太郎参謀総長の主張はその後押しだったのでしょう。
何故その後押しが必要だったかというと、陸軍参謀の間で藩閥派と試験官僚派の対立が激化し、現場の軍に行う指令や、現場から提案された作戦の承認に度々支障を来していたためです。

旅順陥落後、日露双方の従軍者が旅順にはまだ十分な水食料と武器弾薬があったことを記しています。
潤沢な物資を蓄えていてもそれらを使いこなせる練度を持つ兵士が、日本軍の攻撃を食いとめられるだけの数いなければ役に立ちません。

旅順攻略戦の初期の段階で本国の参謀たちの命令により要塞を包囲していた日本軍は準備不足のまま突撃を強いられましたが、乃木司令部はその後は塹壕戦術の展開や大砲の効率的な運用でロシア軍により多くの損害を与えていきました。
ちなみに秋山好古少将は、ロシア軍のコサック騎兵隊と戦う際、塹壕を掘らせて自軍の騎兵も馬から降ろし、塹壕に篭って敵の攻撃を食い止めました。

タヒチ

乃木希典
乃木将軍は名将です。ロシア人は要塞の築城に長けた民族です。日本軍以外が仮に攻めたなら、犠牲者は恐らく一万五千では済まなかった。一桁違っていたでしょう。最新式機関銃、機雷、砲撃だけでなく、落とし穴、電流鉄条網、びくともしないコンクリートで堅めた難攻不落の要塞だった。一万五千の犠牲ですんだのは、乃木の統率力、児玉の天才的作戦能力の賜。

新井

No title
乃木大将の人柄は信用できると思う。
小生の曽祖父は203高地に突入して金鵄勲章を得ている。
しかし、203高地にこだわる必要はなかったのが停戦後に明らかとなる。
なぜならば丘陵を隔てた重砲の盲目撃ちでも旅順港内のロシア艦隊は至近弾の衝撃で無力化されていた。

また、既に戦争継続不能に陥っていたところをアメリカが講和へと誘導してくれたことで辛くも敗戦を免れた。
ところが陸海軍は現在のように省益に汲々としてお互いの連携を怠る。
講和で危機を脱したのを日本単独の実力と錯覚。
勝利に浮かれた反省の無さが太平洋戦争敗戦となって報いられたと思う。

また、日本は太平洋戦争の犠牲者面したがるが日本も植民地政策を執っていたのに「欧米からアジアを解放する」などとトンチンカンな主張をしていることを忘れてはならない。
更に重要なことは世界恐慌に際して行政リストラをしようとした政治家を排して政権の乗っ取り。(5.15&2.26事件)官僚が日本を破滅に導いたことだ!

-

No title
乃木が優秀とか書いてますがドイツの話と旅順の戦いではかなり時代に差がありますし、しかも兵隊の規模、兵器の性能が圧倒的に違うとは考えてみませんでしたか?
旅順ではせいぜいライフルと性能の低い機関銃や大砲ぐらいしか使われていないと思いますが、セヴァストポリ要塞攻略戦では戦車、迫撃砲、性能の高い大砲、そのうえ飛行機まで出てきてるんですよ?それに優秀だったのはドイツ軍であってイタリアとルーマニアの軍も参加していたんですよ?www
それに乃木は最初から海軍に援護を頼めば被害は減らせたと聞きました。
はっきり言って日本の陸将には栗林忠道など一部を除いて優秀といえる将はいないと思います。

ことぶき

私も司馬史観にすっかり騙されていました。
客観的数字を見ても、伊地知幸介参謀の無能な作戦指導による膨大な犠牲というのはあてはまりませんね。
やはり司馬先生の陸軍体験による、拭いがたき葛藤というものが、そう書かせてしまったのでしょうか。
私もふくめて、現代日本人に感じるものには、理屈をこえた不条理、理不尽さを受け入れ難く、忍耐力に欠けるということです。
先人の伝統を受け継ぐには、頭で考えるよりもまず身体で覚えよ。ということでしょうか。
まずは、日本人が日本人であるために、過去の失われた記憶 歴史を日本人の心に取り戻せねばなりません。

楽仙堂

名無しさんへ
テロ募金・深い意味はありません。これは2ちゃんのお祭りだと思えばよろしい。そういう軽いノリでみんなやっております。

拡散メールFAX、頑張ってください。ところで、そのやり方などを指南していただけると、みんな助かると思うのですが、いかがですか?

-

No title
募金テロって何か胡散臭い。
募金屋に金落とす前に、闇法案拡散メールFAXしたい。

楽仙堂

ニコニコ動画・同時多発募金テロ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10028922
 韓国のサイバーテロへの報復として、2ちゃんの勇士が「801チリ募金テロ」を実行した。今回はその第2弾である。3月18日・19日、新たなるテロが始まる。
 むしゃくしゃしている人はテロに参加してみないか?

ついでに宣伝です。2号店作りました。
http://rakusen191.blog120.fc2.com/

愛信

子供手当て法案阻止の要請
子供手当て法案阻止の要請

子供手当ての財源は日本国民が負担します。
しかし、外国人の子供に支払われる手当ては税金として還流すること
はありませんので日本国民資産が他国へ流出するだけです。
母国の800人の子供を養子にした申請も信用して支給すると言うこの
制度は日本国民資産を搾取する極悪法案です。
このような法案を成立させれば財政は破綻して世界中の笑いものにさ
れてしまいます。
与野党を問わず、この国を思う国会議員の方々は必ず法案成立を
阻止して下さい。

[国政に対する要請書]はこちらからどうぞ。
http://www.aixin.jp/ysksh.cgi

愛信

「子ども手当」反対の声を厚生労働省へ!
「子ども手当」反対の声を厚生労働省へ!
http://blogs.yahoo.co.jp/tomky55/12979957.html

“子ども手当”政策反対の声を挙げちゃいましょう♪
抗議する方策は有るようです。厚生労働省宛で、名字だけでも構わ
ないようです。つぃったより 自民党本部に電話しました。
とにかく反対の意見を省庁にハガキで送ってくださいとのことです。
名前はフルネームでなくてもかまいません。
○○区 苗字とかでもいいそうです。
ハガキをお願いします!
厚生労働省〒100-8916 東京都千代田区霞が関1-2-2

【マスコミ隠蔽の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

JPN

No title
久慈市長選 57票差 --> 53票差 ><;

otama

他人のせいにする
■皆さん、こんばんは。三橋貴明です。本日は、お忙しい中、三橋貴明後援会、発足記念パーティにお越し頂き、まことにありがとうございます。
 まず始めに、わたくしが政治活動を開始し、自由民主党の、公認を得るに至った動機について、お話したいと思います。
 昨今、政治の世界やマスコミにおいて、何らかの問題を、センセーショナルに騒ぎ、誰か別の人を「悪者」に仕立て上げ、自らの目的や、政治的な意図を、達成しようとする動きが目立っています。
 まるで「魔女狩り」です。皆さんも、お心当たりのことが、いくつもあるかと存じます。 

「政治家のせいだ!」
「官僚のせいだ!」
「社会のせいだ!」

 このように、最近はひたすら問題を「他人のせい」にする動きが、目につきます。これはもちろん、マスコミ報道もそうなのですが、それ以上に、国家の管理を国民から委任された、政治家の間でさえ、この「他人のせいにする」という傾向が増えてきているように思えます。
 現在、民主党は政権与党として、体制側にあります。すなわち、国家権力を行使する側に立っているわけです。それにも関わらず、民主党は国会という場において、

「それは自民党のせいだ!」
「それは検察が悪いのだ!」

 などと、やはり問題を「他人のせい」にすることを、繰り返しています。他人に責任を押しつけることで、民主党は、問題から目をそらそうとしているようにすら見えます。

 とはいえ、日本社会が抱える問題とは、結局のところ、わたくしたち「日本国民」の問題なのです。本来は、誰のせいにもできない話です。
 なぜならば、日本国の主権を持っているのは、わたくしたち日本国民自身なのです。同時に、未来の日本人に対して、責任を取らねばならないのは、わたくしたち日本国民以外、存在しないのです。
 今後、もしも日本が取り返しのつかないような状況に至ったとき、わたくしたちは、今度はこう言うのでしょうか。 

「民主党のせいだ!」
「マスコミのせいだ!」
「自民党がだらしなかったからだ!」

 それは、違うでしょう。

 日本が真実、取り返しがつかない状況に至ったのだとすれば、それは間違いなく、わたくしたち日本国民、ひとりひとりの「せい」なのです。

 私事で恐縮ですが、わたくしには一人、八歳になる娘がいます。小学二年生です。親ばか承知で言わせてもらえれば、たぐいまれなる、美少女です。
 十年後。彼女が十八歳になったとき、果たして日本は、どのような姿をとっているでしょうか。これまで同様におだやかで、多様な文化や、豊かな自然に囲まれ、誰もが繁栄を謳歌する、平和で安全な日本のままで、いられるでしょうか。
 あるいは、閉塞感に溢れ、犯罪が増え、危険で、貧しい国に落ちぶれているのでしょうか。それは結局、今後のわたくし達の、行動いかんにかかっているわけです。

 わたくしたちの、今後の選択や行動によって、日本の未来は、大きく変わってしまいます。
 十年後、十八歳になったわたくしの娘に、わたくしはこう言って欲しいのです。
「お父さん。どうして日本はこんなに素敵で、楽しい国なの?」

 その質問を受けたとき、堂々と、

「それは、あのとき、ボクたちが、頑張ったおかげだよ」

 そう、彼女の前で宣言したいんです。

 そのために、わたくし三橋貴明は、今後、力の限り、力の限り、頑張らせていただく所存でございます。皆さまの一層のご指導、ご鞭撻のほど、なにとぞ、よろしくお願いいたします。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10478879794.html

はまかぜ

日露戦争関連サイト
アジア歴史資料センター・公文書にみる日露戦争
http://www.jacar.go.jp/nichiro/frame1.htm
日露戦争写真館 防衛庁防衛研究所は見る価値あり。

PHP文庫から別宮 暖朗 「旅順攻防戦の真実―乃木司令部は無能ではなかった (PHP文庫) (文庫) 」もでています。
映画の予告編の音楽はショスタコービッチ交響曲10番第2楽章
http://www.youtube.com/watch?v=2ZbJOE9zNjw&feature=PlayList&p=430B75BC827624A3&index=4

JPN

No title
★【速報】久慈市長に山内氏再選

任期満了に伴う久慈市長選は14日投票が行われ、即日開票の結果、現職の山内隆文氏(58)が、新人で前県南広域振興局北上総合支局長の遠藤譲一氏(56)=民主党県連、社民党県連合推薦、同じく新人で会社役員の宮古邦彦氏(70)を破り、再選を果たした。投票率は70.61%。

 ▽久慈市長選開票結果(選管最終)
当 10562 山内 隆文 無現 (昨年の衆院選では自民党を応援) (2006年市長選15827票)<5265down>
  10509 遠藤 譲一 無新 (民主、社民推薦)
    582 宮古 邦彦 無新
 http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20100314_14

山内氏 「地域のことは、地域で決定すべき」と、政党推薦には否定的な考えを示す

<<岩手>> 57票差 投票率70.61%
この僅差だったら在日が投票してたら完全に民主が勝ってる 在日地方参政権なんて絶対やっちゃ駄目だろ

この期に及んで民主支持に入れてる10509人民主から甘い汁吸っている中なんだろうな
小沢王国でも民主支持率34.2%なのに『支持率40%』とか言ってるマスゴミはおかしいな

岩手で勝てないんじゃ、ほぼ全滅になるな

今後の予定 mail, Fax, 口コミ 作戦
03/21 山梨県中央市長選挙
03/21 熊本県合志市長選挙
03/21 埼玉県戸田市長選挙
03/21 富山県氷見市長選挙
03/28 奈良県宇陀市長選挙
03/28 鳥取県倉吉市長選挙
03/28 高知県香美市長選挙
03/28 茨城県下妻市長選挙
03/28 長野県上田市長選挙
03/28 千葉県木更津市長選挙
非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

スポンサードリンク

カレンダー

09 | 2020/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

電話  080-4358-3739

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク