元来日本社会は窮屈、でも窮屈ゆえに安心



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昭和初期の温海温泉
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日心会MLに、非常に大切と思われる投稿がありましたので、ご紹介します。

~~~~~~~~~~

【元来日本社会は窮屈、でも窮屈ゆえに安心】
2010/04/01 19:41 MLNo.11543

元来日本の文化とは窮屈なものです。

常に人目を気にして、人目が無くとも「お天道様」を気にして、草葉の陰で見守ってくれてるご先祖様を気にして、自分で自身を律することを求められるのが日本の文化です。

また、単に自身の基準で自身を律するだけでなく、周りの人への配慮という形で、周りの人の基準でも自身を律することが求められるのが日本の文化です。

更には場に拠っての基準というものもあります。
それにも合わせねばなりません。

自分の思うように自由気ままに振舞うことは許されません。
かなり窮屈です。
日本の文化とはそういう窮屈なものです。


ですが、そうして個々が自身を律するようにすると、その社会の中の個々人には平穏がもたらされます。
傍若無人に振舞う者に煩わされずに済みます。
迷惑をこうむることもないし、揉めてしまうリスクを犯して注意したりもせずに済みます。
それぞれが自分で自身を律してるのですから、その人達が悪いことをする心配は少なく、つまりは信用出来ます。

結果、余計な事に煩わされず、自分の仕事に専念出来ます。
気を抜いて遊んだり休めたりします。
安心して日々を過すことが出来ます。
そういう社会になります。

窮屈な日本の文化で作られた日本の社会は、安心して暮らせる相互信頼社会となるのです。


窮屈だけど安心。それが本来の日本の社会です。


この“窮屈”ですが、ここで求められてるのは基本的には「悪いことをしない」です。
盗まない・騙さない・暴力振るわない等々。

日本文化の場合、これにプラスして「身勝手な振舞いをしない」が入ります。
「自分勝手なことをしない」です。
「周りのことを考えろ」です。

これを当然と感じる人は、日本文化を窮屈と感じない人です。
この人にとって窮屈だけど安心な日本の社会は、単なる安心な社会です。

人に合わせるのは嫌だと言ってこれを鬱陶しく感じる人は、日本文化を窮屈と感じる人です。
この人にとって窮屈だけど安心な日本の社会は、窮屈で面白くない社会です。


あと、合わせ方がわからないという人も日本文化を窮屈と感じる人です。
どうしていいかわからず、何やっても怒られるような気がして、何も出来なくて、窮屈だと感じます。
この人にとっても日本の社会は、窮屈で面白くない社会です。


「窮屈だけど安心」の“窮屈”とはこういうものです。
私はこの程度の窮屈さは当然と考えます。
そして、窮屈だけど安心な社会をもたらす日本文化を復権させたいと考えています。

求められてる自制は「悪いことをしない」と「自分勝手なことをしない」です。
それ以外の事柄まで抑え込むことを求めてるわけではありません。
一風変わった趣味を持ってるとか風変わりなことに熱中してるとかなんてのは全然構いません。
誰もそんなもんの自制求めません。
親が勉強しろと言ったり、家族が父ちゃん仕事してとか言うのは別ですが。



MLNo.11546 2010/04/01 20:40
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私の中では「空気読めない子供」=「他人に思いやりを向けられない子供」という図式が成り立っています。

10年前よりも、本当に空気が読めない子供が多くなっています。
自分勝手に何でもふるまう「わがまま」ではなく、他人に思いやりを向けようとしない子供(相手に配慮する事が分かっていない子供)が増えています。
これは実感としてあります。


原因は色々とあるとは思いますが、大きな要素として「親が絵本を読んであげる。」が「ビデオやDVDを見せる。」に代わってしまったからだと考えています。

幼少期、私は絵本を読んでもらうのが楽しみでした。ですが、親は仕事や家事があり、いつでも読んでくれる訳ではありません。
忙しいからと断られる事もあります。

ですから、私は知らず知らずのうちに、親の顔色をうかがいながら、「今なら大丈夫。」というタイミングを待っていました。

それに対して、今の時代であれば、ビデオやDVDが絵本の代わりとなっています。
楽しむ子供からすれば同じなのですが、このビデオやDVDは教育と言う観点から言うと、少し恐ろしいものです。
なぜなら、子供は楽しみをいつでも得る事ができます。
親の顔色をうかがう必要もなければ、タイミングを待つ必要もありません。


幼少期に、他の人(親)の様子を見る事を覚え、我慢につながる「待つ」を訓練された子供と、親の動向を考える事もなく楽しみを得て、好きな事をすぐに実施できる子供のどちらの方が、空気を読み、周囲に対して思いやりを発揮できるのかは、簡単に想像できると思います。

決して悪い子ではないのですが、空気が読めない(他人を思いやれない)子供が増えています。

私は空気を読んだ上で、それでも自分の信念を貫こうとする子供が増えていってもらいたいと思います。
思いやりを無くさない強さを持つ事が重要だと思います。

そういった点で、空気を読むというフレーズはあまり好きではありませんが、空気を読む力は大切なものだと感じます。


MLNo.11547 2010/04/01 20:43
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私もそう思います。

日本人はそうやって暮らしやすい、安全な社会を築き上げてきました。


MLNo.11553 2010/04/01 22:19
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大筋賛成です。

日本の伝統的社会の分析と現在の問題点の分析に関して正しいと思います。
そして、向き合う姿勢としても賛成です。

その、「悪いことをしない」と「自分勝手なことをしない」、の、『悪いこと』と『自分勝手なこと』の基準に多少の個人差は認めるべきだと思います。

何が言いたいかと言うと、例えば盗みや暴力などはわかりやすいのですが、この場のようにネット上での発言などでは『悪い』と『自分勝手』の基準に多少の個人差があると思うからです。

その線引きは難しいのですが、明らかに問題だと思われる発言に対しては放任せず注意が必要だと思いますし、悪質なものに対しては毅然と戦うことも必要だと思います。

そして常に我が身に鑑みて見直す姿勢が必要だとも思います。
これは自分自身に言ってる言葉でもあります。

日本の伝統的社会の分析と現在の問題の考察、正しいと思います。
大事なところだと思います。


MLNo.11554 Segoさん 2010/04/01 22:35 [削除する][メール表示する]


こんにちは


私が一番共感したのは、ミリアさんの意見の中の↓の部分です

>空気を読んだ上で、それでも自分の信念を貫こうとする


「敢えて空気を読まない」・・・という、勇気というか意志の強さを合わせ持つことも、場合によっては、一番大切なことだと思っています

空気を読むことも大切

敢えて空気を読まず、信念を貫くことの方が大切な場合もある

その判断をしっかりと出来るかが、とても難しいですね^^




MLNo.11555 2010/04/02 00:35
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本の文化において基準は人々の意識の変化で揺れ動くものだと考えています。

皆が、これぐらいなら良いと言えばその方向に基準は動きます。
皆が、これは良くないと言えばその方向に基準は動きます。
少数が、これぐらいは良いだろうと言っても、大多数がそれに反対すれば基準は動きません。

でも反対してる大多数から寝返る者が出てくればその分だけ基準は動きます。
大勢が少数の意見を聞いて少し基準を修正すれば、少しそちらに基準が動きます。

大勢とまったく相反する意見を少数が訴えたとして、皆から叩かれ続けた少数が挫けず訴え、それに賛同する者が徐々に増え、最終的に多くがそれを支持するようになると、基準が真反対に覆ったりもします。これが絶対的な価値基準を持たない日本の基準です。

常に微調整がされ、時に大きく動きもする、どの方向にも極端でない中間部分での微妙な基準。
それが日本文化における基準のあり方。そう私は考えています。

そして、絶対的な価値基準を持たないからこそ可能なこの基準の調整に日本文化の価値を見出しています。
より良い基準を求めて試行錯誤し続け、変わり続けた二千有余年の日本文化の今を引き継ぎ、調整を行い、次の世代に更なる改善を委ねる。私が日本文化に感じてるロマンです。

~~~~~~~~~~~~~~

わたしたち日本人は、戦後ずっと「戦前の否定」をしてきたような気がします。

戦前=軍国主義=しがらみ等々

しかし、それらの対極として示された平和、自由、平等という戦後の概念は、結果として売国、反日、自己中、利益供与のいきすぎとなって表れているような気がします。

すくなくとも、ひとりひとりの日本人が、自らを律し、清く正しく生きることが普通であった戦前の方が、日本人は、現代日本人よりもはるかに礼儀正しく、凛々しかった。
これは否定できない事実であろうかと思います。

もっといえば、昨今の日本人のコリアン化、Chinese化は著しい。
これは恥ずべき事態です。

考えてみると、戦後の日本が高度成長を遂げ、戦後の焼け野原から、わずか40年で、世界第二位の経済大国にまでなった。
そういう世の中を築いてくれたのは、戦前の教育を受けた人たちではなかったのか。

戦後生まれのわたしたちの世代は、若い頃は駆け出しのビジネスマンとして、そうした戦前の教育を受けてきた人たちの下働きをし、年月がたって、戦後生まれ世代が、はじめて世の中の中心となったときにやったのは、バブル経済です。

戦前生まれの人たちが、汗を流して築いた日本の富を、ひたすらマネーゲームに興じたあげく、バブルを崩壊させ、日本経済を窮地に追いやった。

そして、戦後教育を受けた世代が、完全に世の中の本流、中心となって以降、日本の経済は、まったく発展せず、平成以降、世界各国が経済を成長させる中で、日本経済は、ずっと横這い・・・どころか昨今では低下をはじめています。

ひとりあたりのGDPでは、
IMFの計算では、日本は23位。
CIAの計算では、日本は25位。
マカオにさえ及びません。

より生活実感に近い購買力平価に基づくひとりあたりGDPでは、
IMFの計算では、日本は24位。
CIAの計算では、日本は27位。
(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%86%85%E7%B7%8F%E7%94%9F%E7%94%A3%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88_(%E4%B8%80%E4%BA%BA%E5%BD%93%E3%82%8A%E8%B3%BC%E8%B2%B7%E5%8A%9B%E5%B9%B3%E4%BE%A1)

ものの見事な凋落ぶりです。

現代人の戦前の日本のイメージといえば、戦争、軍国主義、天皇礼賛、貧困、因習などなど、ろくなものはないというのが通り相場ですが、そのふるい日本が、わずか13年で満洲を東洋のパリと呼ばれるほどの街にし、台湾や朝鮮の見事な近代化を実現しています。

戦後日本は、周辺国への投資負担がない分、国力のすべてを国内投資に向けることができ、おかげで、昭和27年にGHQの支配から抜け出た日本は、昭和31年には、「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれるほどの復興を遂げ、昭和39年には東京オリンピックを招へいしています。

いまにしておもえば、すさまじいとしかいいようのない復興力です。

そしてそういう力の源泉は、もとをたどせば、戦前の教育にあり、また、日本的大家族主義にあったといえるのではないか。

わたしたちは、戦前の価値観や教育、体制を、いまあらためて再認識しなおすべきときにきている。そんなふうに思います。

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コメント

シント

No title
>hisa #GteQw55Mさん

御意見、ありがとうございます。

>無理しないですむ社会

自分もそうなってくれる社会を望みます。現状の社会は生きづらいですから。

>空気が読めるほうが良いという結論は大多数の健常者に向けたことで、病気等の方には向けられていません。
ですが、シントさんのように空気を読むことが難しい人が居る事を周りが察することが出来れば、それなりの対応が出来ると思います

この頃の健常者の人達の横暴さはひどいものです。モラルハザードが本当に横行しています。一刻も早く、日本社会を再生しないといけません。このままでは日本は内側から崩壊してしまいますし。

>実際シントさんの身近な人はご病気のことを分かっていて、それなりに接してくれているのではないですか?
それを一般社会まで広げたと想像してみてください

いい社会です。そうなってくれる事を切に願います。

>今回の空気が読めたほうが良いという結論とシントさんやご病気で空気を読めない人は相反するものではないと思いますよ

ありがとうございます。精神障害者にも優しい日本社会になって欲しいです。

hisa

無理しないですむ社会
シントさん
横から失礼します。

空気が読めるほうが良いという結論は大多数の健常者に向けたことで、病気等の方には向けられていません。
ですが、シントさんのように空気を読むことが難しい人が居る事を周りが察することが出来れば、それなりの対応が出来ると思います。

実際シントさんの身近な人はご病気のことを分かっていて、それなりに接してくれているのではないですか?
それを一般社会まで広げたと想像してみてください。

病気等の方は無理しないですむ社会と思いませんか?
だって周りが空気読んでくれるんだからね。

今回の空気が読めたほうが良いという結論とシントさんやご病気で空気を読めない人は相反するものではないと思いますよ。

シント

No title
分かりました。残念ながらお互い理解はできないようですね。
保守の人達にはアスペルガーやアダルトチルドレン、ブラック企業や引きこもり対策をして欲しいです。決して空気を読めとかの常識や価値観を押し付けないようお願いしたいです。
それらに苦しんでいる人達がいるのは、間違いなく存在しますので。そして、精神障害者にも礼節ができる人達がいる事を認めてください。お願いします。

sadatajp

障害者と健常者は違います
>何から何まで健常者や普通人に合わせてたら壊れますよ?

障害のある人にそんなこと求めません。


>空気を読めとは、その場の状況、人物、話の流れ、そこにいる多数派の常識や価値観、社会や世間の流行などなど、膨大すぎる情報を瞬時に判断しなくてはなりません。

普通はやってます。アスペルガーに類する障害があるなら出来ないでしょう。でも健常者には出来ることです。
ただし“瞬時”は余計。


>そもそも今の健常者はまともではありません。

病気で認識力に欠陥があるあなたにわかることではありません。


>空気を読まなくても、礼節や禁句、犯罪をしない、雰囲気を察するなど誰でもできますし、自分もできます。

いや、あなたには出来ない。『空気を読む』と『雰囲気を察する』は同じ。空気を読めってのは、その場の雰囲気を察しろやコラってこと。
これが出来ないのがアスペルガー。アスペルガーとかと一緒の精神障害を患ってるあなたに出来ることではない。


>ただ、この頃の人達は自分の常識や価値観を他人に押し付けるのが正義と思っているのです。

この頃に限らず昔からそうです。


>自分は礼節は取ります。

礼節は場に合わせて行うもの。空気の読めないあなたにその場に適した礼節は取れない。やってはいるのでしょう、あなたなりに。でもそれがその場に適したものになってるかどうかは非常に怪しい。


>しかし、それ以上の自分達にとって都合がいい状況や流れに沿ってないからといって、空気を読んでないから駄目だ、というのはいだだけません。

『読む』と『合わせる』は違います。


>これ以上、日本人の精神的負担を増やす事はしたくありません。

病人であれば避けるべき精神的負担は、健常者にとっては何の問題もないものです。むしろ必要です。
過度でない負担は機能維持の為に必要なものなのです。病人であるあなたの基準で健常者を考えてはいけません。


アスペルガーに類する障害があるというあなたには認識力の欠如があるはずです。ここで話した程度では理解出来ないでしょう。後は直接のやり取りが出来るカウンセラーと話して下さい。

シント

No title
>sadatajp #oZwc76Mgさん

では空気を読めない人はどうするんですか? 何から何まで健常者や普通人に合わせてたら壊れますよ? それに空気を読めという考えは必ずしも良い事ではありません。

空気を読めとは、その場の状況、人物、話の流れ、そこにいる多数派の常識や価値観、社会や世間の流行などなど、膨大すぎる情報を瞬時に判断しなくてはなりません。

そもそも今の健常者はまともではありません。空気を読めという常識を押し付けるのがそもそも間違いです。空気を読まなくても、礼節や禁句、犯罪をしない、雰囲気を察するなど誰でもできますし、自分もできます。
ただ、この頃の人達は自分の常識や価値観を他人に押し付けるのが正義と思っているのです。そのおかげでどれだけの人が精神的に殺され、うつ病にかかり、自殺をしたりとなってきたことか。

自分は礼節は取ります。しかし、それ以上の自分達にとって都合がいい状況や流れに沿ってないからといって、空気を読んでないから駄目だ、というのはいだだけません。
これ以上、日本人の精神的負担を増やす事はしたくありません。

sadatajp

『空気を読む』は状況把握
シントさん>
病人の基準で健常者を考えてはいけません。病人に対しての禁止事項をそのまま健常者に課すのは間違った考え方です。


---------------

『空気を読む』というのは、その場の状況把握。言葉で具体的に表現出来ない“感じ”まで含めた状況把握が『空気を読む』ということ。

その空気に身を委ねてしまうのは『空気に流される』。思想にどっぷり染まってしまった人達やら洗脳させられた社蓄やらはこれ。

その空気を良くないと思い、それを変えることを『空気を変える』。冗談で暗い空気を明るく変えるとか和ませるとか。

上手く『空気を変える』には『空気を読む』が出来なくてはならない。ただその場の空気と違うことをやったのでは上滑りするだけ。その場の空気を読んでの適切な対処をしないと空気は変わらない。
 薩長の仲を取り持った坂本竜馬は、薩長間の剣呑な空気を感じつつ、如何にそれを変えられるかに腐心したはず。必死になって両者間の空気を読み、懸命にその空気を変える方策を考え、実行し、結果としての空気をまた必死に読み、薩長が協力して討幕するという空気にまで持っていった。そのようにして空気を変えた。そういったイメージを思い描いてもらえればわかると思う。空気が読めないではこういう仕事は出来ない。


もっとも、その場の空気関係なく強引に変えてしまうことも可能ではある。銀行で拳銃出して「手を上げろ!」なんて言えば空気は変わる。皆で和気藹々としてるところで奇声張り上げて暴れまくれば空気は変わる。空気の読めない人が身勝手に振舞っても空気は変わる。これらの『空気を変える』は『空気を読む』が出来なくても出来る。だからといって空気が読めなくてもいいではなかというのは勘弁してもらいたい。この空気の変え方は碌なもんじゃない。周りにとっては迷惑この上ない。

シント

No title
自分は空気を読めないものです。アスペルガーとかと一緒の精神障害を患ってます。そのおかげで周りの人達に合わせるのが難しかったです。社会に出れば、もっと周りに合わせなければいけなかったので、つらかったです。

今、日本にはブラック企業やそこで洗脳させられた社蓄のおかげで、うつ病になったり、自殺をしたりする人達が後を断ちません。空気を読むというのは、ある意味多数派に気を使う、自分の意見は絶対に言ってはならないという意味が大きいです。

自分の中では空気を読めというのは、禁句に近いです。それは多数派の意見だけが尊重され、少数派の意見は踏み潰していいという事になりますので。常に多数派が正しいわけではありません。

M、K

No title
過去現在未来塾、発足式
日比谷野外音楽堂に参りました。
4時間40分に及ぶ国思う国士の皆さま方の講演・・!
それはもう真に素晴らしく感動の発足式でした。
ねずきちさんを初めて拝見致しました。
古武士を彷彿させる話し方と風貌に何か納得していました。
日本を取り戻し平和、安全、発展が守られるまで自分達も頑張りたいと思います。
お疲れ様でした。そして有り難うございました。







-

No title
奴らが出ていかないと安心な日本にはなりません・・
困ったものです。

愛信

たちあがれ日本
https://www.tachiagare.jp/

私ども「たちあがれ日本」は、「打倒民主党」「日本復活」「政界再編」
を旗印に、政治生命をかけて政策の実現を目指してまいります。

○「いま、日本があぶない」第一の使命:「打倒民主党」
○「凛とした安心社会へ」第二の使命:「日本復活」
○「数より覚悟の政党」第三の使命:「政界再編」

【動画ニュース掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュースタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

ぽんた

No title
ふむふむ話の内容は理解できます。
ただ一言言わせてもらいたいこともあります。

空気を読めるがゆえに戦後の反戦・売国・左翼思想にどっぷり染まってしまった人たちが多くいたがゆえに現状の日本が構築されてしまったということもお忘れ無く。
また空気が読めないが故にそういう親・教師・マスコミ・政府に対して泣き寝入りせず、堂々と反発する若者が増えていることもお忘れ無く。

所詮はトランプの裏表、世の中にはどっちも居るのです。ただ、一方に偏りすぎたりすると大変です。
空気読める人ばかりだと、お上が優秀ならいいけど、一歩間違えれば奴隷やモルモットと同じです。空気読めない人ばかりだと、無政府状態の西部劇になるでしょう。

要は空気が読めても読めなくても中心に国を思う心があるのかないのかということに尽きると思います。

にっぽんじん

明治人の姿
桜井よしこさんが長岡藩の元家老の6女「杉本エツコ」がアメリカで書いた「武士の娘」を題材に日本の文化について書いています。まさに、ねずきちさんが書いた「窮屈な日本」です。

それが素晴らしい日本をつくっていました。幕末から明治にかけて訪れた外国人が、日本人の礼儀正しさ、教育の高さ、物腰の上品さ、優しさに驚嘆しています。

大正末から昭和にかけて大使を務めたフランス人のポール・クローゼル氏が言っています。

「どうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ」「彼らは貧しい。しかし、高貴である」と。

戦後の誤った教育で日本の文明が破壊されようとしています。絶対に許してはいけません。民主党は「日本文明」を破壊する政党です。

国民は目を覚まして下さい。

-

全共闘 三島由紀夫 小林秀雄
■林健太郎氏が監禁された時の事だが、その林東大文学部長と全共闘の学生達との対話が去年の十一月二十四日号の「朝日ジャーナル」に載った。林氏は私にこう語った。「あの報道は大体正しい、唯一つの事を除けば・・・・」と。その一つの事とは学生達の言葉遣ひである。「朝日ジャーナル」の記事を一部引用する。

学生 収拾するという事は、七項目要求を呑むということですか。
林  いや、そうじゃないです。ともかくストライキを収拾することです
学生 医学部の処分について、これをなぜ撤回したのか訊きたいと思います。
林  だって、事実がはっきりしないって言うんですから仕様がないでしょう。

全部この調子で続く。が、林氏によれば、学生達はこんな丁寧な言葉を使ってはゐない。
「収拾するってえのは七項目要求を呑むって事か」
「医学部の処分について、なぜそれを撤回したのか訊きたいね。」
凡そこんな調子であったといふ。林氏に対しでは勿論「おめえ」呼ばはりだ。

それを「朝日ジャーナル」はなぜ上の如き丁寧語へと意識的な誤訳を試みたのか。編集者の「良識」が、学生の要求内容や教授監禁の事実よりも、その言葉使ひの乱暴な事の方が無法であると悟ったからであり、その最も無法な事実を隠す事によって学生達の非を救はうとしたからに違い無い。とすれば「朝日ジャーナル」でさえ、ことば遣ひを最も大事な事柄と考えてゐると言っても言ひ過ぎにはなるまい。

これは皮肉や冗談ではない。もし言葉遣ひや居住まひの様な躾が、戦争中、或いは敗戦後の混乱時に何よりも大事な事だと考える政治家や学者や教育者が何十人かゐたら、今日の如き大学騒動は決して起こらなかったであろう。躾は理屈ではない。無条件の強制である。なぜ膳の上に足を載せてはいけないのか、なぜ「行って参ります」と言はなければならないのか、三歳や五歳の子供に向つて、誰がそれを論理的に説明し得るか。強制的な繰返しを以てするほかは無いのである。
(教育の普及は浮薄の普及なり 福田恆存「潮」昭和四十四年五月号」)

■われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
共に起つて義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の存在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。
もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
(「檄」 楯の会隊長 三島由紀夫)
http://blogs.yahoo.co.jp/esezo1028/22402307.html

■実は、数日前、未知のある団体から電話があつてね、三島氏の今度の事につき、有志のものが集まって哀悼の意を表したいのだが、ついては発起人になつて戴きたいと言うのだ。あなた方は、哀悼の意を表するのに発起人を必要とするのか、お断りします。さういう事があったのです。
やはり、孤独な事件とはつきり感じて、こちらもこれを孤独で受取るといふ事は、極く当たり前の事のやうでゐて、さうでもないのかな。
例へば、右翼というような党派性は、あの人の精神には全く関係がないのに、事件がさういふ言葉を誘ふ。事件が事故並みに物的に見られるから、これに冠せる言葉も物的に扱はれるわけでせう。事件を抽象的事件として感受し直知する事が易しくない事から来てゐる。
いろいろと事件の講釈をするが、実は皆知らず知らずのうちに事件を事故並みに物的に扱ってゐるといふ事があると思ふ。
事件が、わが国の歴史とか伝統とかいふ問題に深く関係している事は言ふまでもないが、それにしたって、この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけが責任を背負い込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ。さうでなければ、どうして確かに他人であり、孤独でもある私を動かす力が、それに備わつてゐるだろうか。
(小林秀雄「感想」『新潮』昭和四十六年一月臨時増刊号)

窮屈
基本的に国という囲いを作るという事が窮屈とも言える。
しかし囲いを作る事により得るモノが大きい為に囲いを作る。

規則、法律といった仕組みを作るのも同じである。色々な制約が出来るのだけど。そのおかげで余計な事を考えなくても済むのである。ある種の生活の為の道筋であると僕は考えます。

何も手を加えられていない森の中、確かに何処に行こうとも自由だ。何処につくかもわからない。行きたい所に行くのも苦労があるだろう。だがこれまでの歴史で色々な人が道を造り効率的に進む道を造ってくれたのであると。

また僕は思います、自由主義により自分の生きる道を失った為に自分探しの旅という訳のわからん者が増えたのではないかと。

僕は自分というのモノは1人で作る事は出来ないと考えています。他人が思う自分像、期待される自分像等があり、自分の行動を客観的に見る事が出来ると思っています。

自分だけで自分の事を確立出来ると思っているから窮屈に感じる、そして他人からの信頼とかを知らないから満たされないのではないかと。

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この異常な数 ! 退治に協力を!
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在日特権を許さない市民の会 - 投票・アンケート
1643対1337http://www.zaitokukai.info/modules/xoopspoll/index.php?poll_id=33

窮屈
窮屈は「理性」が働いていると言う事で「窮屈」でないのは「理性」が失われている事だと考えても良いのでしょうね。

ジャギ様

多くの物が遺された奇跡の国
 日本列島は古来より温暖な気候と、世界有数の漁場に囲まれ縄文・弥生時代には既に人口大国でした。
 ヨーロッパのように氷河期を経ていないため、動植物や自然の多様性も担保され、極寒の洞窟暮らしとも無縁だったため八重歯やアルコール耐性の無い遺伝子も淘汰されずに保存されています。
 大都市で人の顔を俯瞰すると、多様な遺伝子ユニットの混交であることが伺えます。
 列島の中央を走るフォッサマグナの東西で、自然の生態系や人情は大きく異なりますが、日本人同士互いを殲滅するほどの騒乱はおきていません。

 これは現在、文明国といわれる地域では稀有なことで、2千年以上前からほぼ同じ民族ユニットが社会を構成しているのです。
 歴史上、奴隷制度が無いのは異民族の支配を受けていない証さですし、膨大な文書記録もそれを裏付けています。

 常々思うのですが、日本人が自然と調和して生きてきたというのも眉唾で、実際はヨーロッパ並みに自然破壊をしてきたのですが、日本の自然の復元力に負うところが大きいと考えられます。
 (更地を1年放置すれば雑草だらけとなり、5年も放っておけば目も当てられなくなります。→これは日本庭園についても言えることです。)

 地球上の定量空間の中で人間が文化的に生活できる適地は限られていますが、日本はその数少ない場所なのでしょう。
 パンの木や椰子の木10本あれば家族を養えるほどではなくとも、自然災害や食料の調達などにスペシャリストの作った道具や技術なしでは生活できない程度に厳しい自然環境であるところがミソだと考えられます。

TEXAS

No title
あつみ温泉~~~懐かしくなりました。

もう20年近く前ですが、万国屋と橘屋に一泊づつしました。
万国屋は、右手奥にあった2間の個室を2室借り切り。 檜風呂でゆったり~~。

いえ、母親の納骨のため利用したまでです。 料理のうまかったこと、庄内の風景をタップリと楽しんだこと~~~月日の過ぎ去るのは速いものです。 

杜若

No title
こういったことを子供の躾にたとえるのもなんですが、躾とは結局、最初は窮屈でも訓練を重ねるにしたがって窮屈ではなくなり、そして自然体になれば窮屈だったことがかえって合理性のある行動になる、、ということでは、と思います。

次の一節は私がよく、何かにつけて引用してしまいますが、

孔子の有名な言葉で、

『子の曰く、吾れ
  十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順がう。
  七十にして心の欲する所に従って、
  矩を踰えず。』              (為政編)

とありますように、
心の欲する所に従って、矩を踰えず。、、すなわち、全ての行動が人間の本性に適い無駄が無く、理にかなっているということだろうと思います。
言わば、究極の躾と呼ぶべきものでしょう。

そこに、窮屈という思いは無く、何処までも自然体であるということなんだと思います。
かつての日本社会は自然にそういったことが培われたものであったということなんでしょうか。
もし、それが失われたものならば、是非にも復活させねばなりませんね。
この国が、いつまでもこの国たる姿であるように。

山河

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ねづきちさん 土曜日はお疲れ様でした。

4・10の「過去現在未来塾」 発足記念講演会 動画を集めました。まだ途中ですがごらんください! http://applecosmos.blog123.fc2.com/blog-entry-68.html
宜しくお願いします。

あ太郎

身勝手社会
一時間外にいると気分が悪くなります。 町全体が、日本全体が巨大なキャバクラと化しています。


見事なまでの身勝手社会の出現です。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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