ライト兄弟より早く飛行機を飛ばした日本人・・・二宮忠八

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二宮忠八
二宮忠八



4月29日は昭和の日。この日は昭和天皇のお誕生日であります。

ちなみに明治天皇のお誕生日が11月3日。
明治天皇が10月31日。
今上天皇が12月23日です。


そして4月29日は「飛行機の日」でもあります。

飛行機といえば、ライト兄弟が有名ですが、ライト兄弟が人類初の有人飛行を実現したのは、明治36(1903)年12月17日です。4月ではありません。

ではなぜ4月29日が飛行機の日なのか。
今日は、このことを書いてみたいと思います。


ちなみに、ライト兄弟が、ノースカロライナ州のキティホークにあるキルデビルヒルズで、12馬力のエンジンを搭載した「ライトフライヤー号」で、飛ばした飛行機は、最初のフライトが、わずか12秒です。

4度目の飛行で、59秒、260メートルの飛行が行われた。

下の写真は、そのときの実写版で、飛行機を操縦しているのが弟のオーヴィル、横にいるのが兄のウィルバーです。

ライト兄弟
ライト兄弟


ところが実は、ライト兄弟よりも12年も前に、飛行機を飛ばしていた人がいるのです。

日本人です。
二宮忠八(にのみやちゅうはち)という人です。

その二宮忠八が、香川県の丸亀練兵場で、わずか10メートルではあるけれど、日本初のプロペラ飛行実験を成功させたのが、明治24(1891)年4月29日、つまり4月29日なのです。

ちなみに、二宮忠八は、翌日には、なんと36メートルの飛行に成功しています。

その飛行機は有人ではありません。
模型と言った方がいいかもしれない。
しかし、これが人類初の動力飛行実験の成功であったことは、疑いのない事実です。


二宮忠八は、慶応2(1866)年の生まれですから、このとき25歳の青年です。

もともと忠八は、伊予国宇和郡(現:愛媛県八幡浜市矢野町)の生まれの方です。
かなり富裕な家の生まれだったそうです。

しかし、父親が事業で失敗し、さらに二人の兄が遊女に狂って家計が傾いたところに、父親が急死してしまう。

残された家族を養うため、忠八は、なんと12歳で、一家を支えるために、町の雑貨店に奉公に出ています。

忠八は、無類の凧(たこ)好きだったそうです。

いろいろな凧(たこ)を考案し、工夫した忠八の凧は、とてもよく飛んだ。
この凧は「忠八凧」と呼ばれて、たいそう人気を博したそうです。


明治20(1887)年になると、忠八は21歳で徴兵されます。
そして、丸亀歩兵第12連隊に入隊します。

入隊2年後のことです。

野外演習の帰り道、木陰で昼食をとっていると、霧の中からカラスが飛んできた。
残飯の米粒を求めてやってきたのです。

よく見かける光景といえば、光景です。

カラスは、翼を広げ、羽ばたかずに、すべるように舞い降りてくる。
そして飛び立つときには、何度か大きく羽をあおると、谷底からの上昇気流でサァ~と舞い上がる。

この様子を見た忠八は、天啓を得ます。

向かい風を翼で受け止めたら、空気抵抗で空を飛ぶことができる!

固定翼による飛行原理の発見です。

そして一年後、ついに「カラス型飛行器」を完成させます。

カラス型模型飛行器
カラス型模型飛行器


明治24(1891)年4月29日の夕方、丸亀練兵場の広場で、忠八は、自作のカラス型飛行器の飛行実験を行ないます。

練兵場の仲間たちがみんな見に来た。

この頃、忠八は、練兵場にある精神科の軍病院に勤務していました。
その忠八が、飛行機の動力源に選んだのが、なんと医療用聴診器のゴム管です。

そのゴム管につながった4枚羽根のプロペラが回転する。
風が起き、飛行機が舞いあがるという仕組みです。

凧は、糸を人が引っ張って空に浮かべます。
しかし動力飛行機は、自分の力で、空に舞います。


忠八が、プロペラを回して、ゴムを巻きます。

いっぱいに巻いたところで、カラス型飛行機は、そっと地面に置かれる。

まだ誰も飛んだことのない有人飛行に向けて、忠八の夢いっぱいに乗せた飛行機が、いよいよ練兵場の地面に置かれます。

忠八が手を離す。

プロペラが勢いよく回転し、多くの人が見守る中を、カラス型飛行器は、約3メートル助走します。

そして、フワリと空に舞い上がった。

ぐ~んと高度を上げた飛行機は、10メートルほど飛んで、草むらに着地します。


成功です。

な~んだ。ただのゴム飛行機じゃないかと侮るなかれ!
人類を宇宙に飛ばすロケットだって、最初の一号機は、ロケット花火程度の小さなモノからの出発です。

見守る人も忠八も、飛行機が自走して空に舞ったことに大喜びします。
忠八は、何度も飛行器を飛ばし、翌日には飛距離を30メートルに伸ばした。


自信をつけた忠八は、いよいよ有人飛行機の設計に着手します。

いろいろ研究した。
有人飛行の研究のために、忠八は、鳥類の体型を詳細に調べるだけでなく、鳥や昆虫、トビウオから、天女や天狗などにいたるまで、およそ「空を飛ぶもの」ならなんでも調べた。

そして、鳥の体型にヒントを得た「カラス型」では人間の体重を支えきれないことを知ります。

どうしたらいいのか。

忠八は、昆虫の飛行を研究し、4枚羽根の飛行機を完成させます。
明治26(1893)年のことです。

この飛行機は、「玉虫型飛行器」と名付けられます。


「玉虫型飛行器」は、はじめから人が乗れることを前提に設計されています。
ライト兄弟の実験成功よりも10年も前のことです。

ただし、翼幅は2メートルです。
有人飛行を前提にしながらも、この飛行機は、実機の縮小模型として作られた。

飛んでくれれば、まさに、世界初の実用機となるはずの飛行機です。

さらにこの飛行機は、人間が搭乗することを前提に、空中で飛行機の向きを上下左右など自在に操れる工夫がしてあります。

玉虫型飛行器
玉虫型飛行器


いよいよ、飛行実験がはじまります。

動力は、強力なガソリンエンジンを搭載して、といいたいところですが、なにせ当時としてはまことに高価なガソリンエンジンを買うだけの資金がありません。

そこで、機体をゴムヒモだけで飛ばせる最大サイズで作り、烏型と同じ4枚羽の推進式プロペラを機尾で回転させます。

そして、「玉虫型飛行器」は、
実験で、10メートルを飛行します。


大成功です。

残る問題は、動力源です。

いかんせん、ゴム紐エンジンでは、人が乗るわけにいきません。

しかし、まだ電気すら通っていない明治の中頃のことです。
ガソリンエンジンなんてものは、あまりに高価で、庶民が個人で買うことはできない。

石炭を焚く蒸気機関では、重すぎて飛行機になりません。

忠八は、飛行機は、絶対に戦場で役に立つ!と考えます。

だから軍で、この研究を引き取ってくれないか。

忠八は、「飛行器」の有効性とその開発計画について、必死でレポートにまとめ、有人の「玉虫型飛行器」の開発を、上司である参謀の長岡外史大佐と大島義昌旅団長に上申します。

個人では資金がないのです。
このままでは実機を作れない。
軍が研究を採用してくれれば、発動機を入手することも可能です。

しかし、なんど足を運んでも、長岡大佐の返事は「戦時中である」。大島旅団長も乗り気でない。

二宮の趣味や夢物語に、軍予算をまわすわけには行かなかったのです。


あと一歩。あとすこしで有人飛行機が完成するのです。
発動機さえあれば。エンジンさえ買うことができれば。


忠八は、必死に考えます。

そして、軍の協力が得れないならば、自分でお金を作って飛行機を完成させるほかない、と考えます。

忠八は、軍を退役し、大日本製薬に入社します。
必死で働いた。

頑張ればその分、給金があがるのです。
だから本気で働いた。

忠八は、みるみる成績を挙げ、ついに明治39(1906)年には、愛媛の支社長にまで出世します。

支社長になった忠八は、すこし時間に余裕が生まれます。
そして、それまで、一生懸命蓄えたお金も、ようやくある程度の金額になります。

明治40(1907)年、忠八は、精米器のための二馬力のガソリンエンジンを購入すると、再び飛行機の研究を再開した。

ところが、せっかく購入したエンジンなのだけれど、さすがにニ馬力では、人間を乗せて飛ばすだけの推力が生まれない。力不足なのです。

しかし、当時、徐々に入荷しつつあったオートバイ用のガソリンエンジンは、まだ高く、忠八の手は届かない。

いろいろ考えた忠八は、ガソリンエンジンの部品を少しずつ買い集め、エンジンそのものを自作しようと考えます。

すこしずつ器材を買い揃えはじめた。

不思議なことに、このとき忠八が自作しようとしたエンジンは、12馬力エンジンです。
実は、ライト兄弟の「フライヤー1号」も、12馬力エンジンです。

そのライト兄弟ですが、いまでこそ、世界初の有人飛行として有名になっていますが、明治36(1903)年12月17日のライト兄弟の有人飛行というのは、アメリカ本国内ですら、当時はまるで報道されていなかったのです。

ライト兄弟自身が、アイディアの盗用を恐れてなかなか公開飛行を行わなかったこともありますが、地上すれすれに僅かの距離を飛んだということが、この時代には、まだ、すこし「大型の凧上げをやった」だけ、くらいにしか一般には認識されなかった。

ようやくライト兄弟による有人飛行成功が広く世間に広まったのは、明治40年頃だといわれています。
日本でも、初めて報じられたのは、雑誌「科学世界」の明治40(1907)年11月号です。

おそらく、忠八が、ライト兄弟のことを知ったのも、このときではなかったかと思われます。


これはショックです。

一説によると、このとき忠八は、それまで蓄えていた飛行機自作のための機材をめちゃめちゃに壊したという話もあります。

実際に壊したかどうかは別として、忠八にとって、このことがとてもつらく、悔しかったであろうことは、容易に想像できることです。
人生をかけてやってきたことの、すべてを失ったという感情にさえなったかもしれない。

結局、忠八は、このときのショックから、飛行器の開発を取りやめてしまいます。
そして薬の製造の仕事にうちこみ、明治42(1909)年には、マルニを創業します。


ところでこのとき忠八が製作しようとした飛行機は、長い間重量が重過ぎて完成しても飛べないだろうとされてきました。

平成3年10月、有志によって、忠八の当時の設計図通りに、実機が作られます。

なんと、この飛行機は、見事、故郷の八幡浜市の空を舞った。


大正8(1919)年といいますから、このとき忠八は、53歳。

明治から大正にかけての日本人の平均寿命は、44~45歳くらいだといいますから、いまの感覚でいったら、60歳くらいの社長さんという感じかもしれない。

二宮忠八は、たまたま同じ愛媛出身の白川義則陸軍中将(当時)と懇談する機会に恵まれます。

このとき、ふとしたはずみに、忘れようとして忘れられない、若き日の陸軍時代の飛行機製造の話で会話が盛り上がります。

この白川義則という人、後年、陸軍航空局長を務め、最終階級は、陸軍大将になるお方です。後に関東軍司令官、上海派遣軍司令官、陸軍大臣を歴任した人物でもある。
タダモノではありません。

忠八の言葉に関心を抱いた白川義則は、実際にその上申があったかをすぐに確認させるとともに、忠八の上申内容が技術的に正しいかどうか、専門家に検証を命じます。

すると、見事、正しい。

なんと、日本はライト兄弟よりはるか以前に、動力飛行機による飛行実験を成功させていたのです。

白川は、陸軍その他に働きかけ、大正11(1922)年に忠八を表彰します。
さらにその後も数々の表彰を忠八に授けるよう、運動してくれた。

おかげで忠八は、大正14(1925)年には、安達謙蔵逓信大臣から銀瓶一対を授与され、
大正15(1926)年5月には、帝国飛行協会総裁久邇宮邦彦王から有功章を賜い、
昭和2(1927)年には、勲六等に叙勲され、
さらに忠八の物語は、昭和12年度から、国定教科書に掲載されます。

このことを知った長岡外史大佐(かつて忠八の上申を却下した大佐)は、わざわざ忠八のもとを訪れ、謝罪している。

ちなみに、このときの長岡大佐の謝罪は、上から強制されたものではありません。
もうとっくに軍を退役したおじいちゃんです。
いまさら命令もない。

彼は、自らの不明を恥じ、自らの意思で忠八に頭を下げに来た。
これは、実に素晴らしい、男らしい振舞だと思います。

誰だって、自分を正当化したがる。
失敗を他人やご時世の「せい」にしたがる。
そうやって、自らの責任から逃れようとする。

しかし長岡大佐は、自らの非を認めた。
自分に厳しいから、他人に対して頭を下げることができるのです。
往々にして、他人に罪をなすりつけたがるタイプの人は、自分に甘い。

長岡大佐は、実に立派な人であったと思います。


飛行機は、その後、瞬く間に世界に普及します。

ただし、初期の頃の飛行機です。
事故も多かった。

満足な滑走路も、飛行管制塔もない時代です。
エンジン性能も、いまどきのエンジンのように安定したものではない。

そのため、飛行機事故で、多くの人が命を失っいました。

忠八は、ずっと持っていたのです。
飛行機を作るために貯めたお金、懸賞でいただいたお金をです。

彼は、自らの青春の夢をかけた飛行機で、多くの人命が失われたことに、深い悲しみを覚えます。

そして、飛行機事故の防止と犠牲者の冥福を祈るために、私財を投じて、京都の八幡市に「飛行神社」を設立し、自ら神主になった。

そこで生涯、航空の安全と、航空殉難者の慰霊に一生をそそぎます。

忠八は、昭和11(1936)年、70歳で逝去されます。

飛行神社
飛行神社


二宮忠八は、ライト兄弟のような有人飛行機を飛ばすには至っていません。

しかし、ライト兄弟が成功する14年も前に飛行原理に着想しました。

二宮忠八が飛行機の開発にいそしんだ時代は、まだ日本に電気はありません。
動力もままならなかった。

そんな中で、世界初の有人飛行という夢に向けて研究に没頭した忠八は、近年「日本の航空機の父」、「飛行機の真の発明者」と称されるようになってきています。

ちなみに、日本語の飛行器(機)というのも、二宮忠八の造語だとか。

それに飛行機に対する愛情だけでなく、飛行機を通じて亡くなられた方々の慰霊のために、私財をなげうって神社を設立したというのも、実に立派です。


それにしても、ライト兄弟よりもずっと前に、日本で飛行機が実際に研究され、作られていたんだって、なんだか感動です。

そしてこのお話は、戦前の教科書にはちゃんと載ってたんですね。

どうして教科書から消してしまったのだろう。
こういう話って、絶対、学校で教えるべきだと思います。


それと、天の神々が、二宮忠八ではなく、最終的にライト兄弟に世界初の有人飛行の手柄を譲ったこと。

それについて、こんな話を聞きました。

発明や発見というのは、その人一代限りの名誉でしかなんだよ。
人類は、飛行機の発明で、これまでとまったく違った世界の扉を開いた。
このことは、たいへん意義深いことであると同時に、人類は、未来永劫、飛行機による殉難者を抱えることになる。

その慰霊ができるのは、日本人である二宮忠八しかいない。

だから神々は、忠八の手柄を、ライト兄弟に譲ったのさ。

もしかしたら、それがほんとうなのかもしれませんね^^

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明治時代の玉虫型飛行器 再現RC機
(ほんとうに良く飛んでます)


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コメント

-

No title
一応ゴム動力の模型飛行機はフランスのアルフォンス・ペノーが最初です。二宮さんは「もし」大馬力のエンジンを手に入れていれば人類初飛行していただろう人だと思います。

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

感動
素直に感想をのべます。
12時間後に兄弟がライト兄弟と同じように有人飛行に成功した。と聞いたことがあり、調べていたのですが、このような偉人がいらっしゃったのは、凄いと思います。12年も前とは中学生が一人育つくらいも前に動力飛行機が出来る設計図があったとは……。
憧れます。ストーリーが世界観を作っていて、金曜深夜のドラマにどうかと思うほどでした。

名無しのフィール

No title
二宮忠八は私の故郷の方ですが、あまり知られてないんですよね。

これはとても悲しいことだと思います。

-

No title
ライト兄弟の飛行以前にも、何回か動力飛行の試みは欧州のほうで行われています。そのうちのいくつかは数秒ぐらいなら地上から浮き上がったり…というのがあります。

ライト兄弟の何が一番凄かったかと言えば、それまでの安定した機体を作る(何もしなくても勝手にバランスが取れる)から、パイロットが常時舵を握ってバランスを取るというようにしたことなのです。特に横制御(ロール軸、これが無いと錐揉み状態になりやすい)を初めて導入したこと。

揚げ足取りですまないのですが、カラス型にはその横制御(今だと主翼の端っこに付けられたエルロンが担当、ライト兄弟は主翼をねじることで実現)を行う機構が見当たりません。玉虫型だともしかしたら下翼がその横制御を担う設計になっていたのかもしれませんが。(復元模型を見るかぎり、下翼は前の方で1箇所で止められているだけなので、操舵索と繋がっていれば…)

しかしイギリスのケイリー卿(1773-1857)が提唱した上半角を(恐らく)独自の研究でカラス型に取り入れているのは、二宮忠八流石と思わされます。もしも十分な資金さえあれば、世界最初の”制御された”動力飛行は彼が行えたのかもしれないと思わされます。

通りすがりの者です

No title
突然失礼致します。
>平成3年10月、有志によって、忠八の当時の設計図通りに、実機が作られます。なんと、この飛行機は、見事、故郷の八幡浜市の空を舞った。

これは「復元改造機」というその名の通り、操縦安定を得るためにオリジナルには無い尾翼が付けられており、
厳密には忠八の設計と異なる外観をしています。
ラジコン機の方も、外観こそオリジナルと同じく無尾翼なのですが、
操縦安定を得るためにこちらもオリジナルを少しずつ変更しており、飛べるようにするため様々な工夫が必要でした。
二宮忠八の偉業には敬意を表しますが、「現代の技術で空力上の改善をして飛べるようにした」。と言った方が正確ではないかと思います。

遠藤

No title
 アメリカでライト兄弟の有人飛行成功100周年を記念し、当時と同じ材料を使用してフライヤー号のレプリカを造り飛行実験をしたところ、今回は飛ぶことができなかったそうです。

 翼に張るゴム引き絹布が現在では製造されていないため(むかしはライカのカメラのフォーカルプレンシャッターの引き幕に使われていたが、今は金属膜のため製造されていない)かわりにビニールを利用したのがまずかったのでしょうか。それ以外の部品は100年前と同じ材質のものが手に入ったそうです。

 この一世紀の間に人類は月に到着するほど科学文明を発達させたはずなのにこの失態は一体何なんでしょうね。ライト兄弟の偉大さを知った事件でした。

-

No title
世界で始めて動力飛行機を作ったというのは嘘
1871年にフランスのアルフォンス・ぺノーがゴム動力飛行機を製作して飛ばしている

U.S

桜咲刹那
関係ないのですが坂本龍馬と検索して下さい

U.T

No title
すごいようなすごくないような

U.T

No title
二宮さんすごい

中島

「有色人種」「黄色人種」
このページの記事とは関係ないのですが、先のコメントにあった「有色人種」という表現が昔から引っかかるのです。 白人からみた差別用語のはずです。 

愛信

沖縄の人達と普天間基地問題
沖縄の人達と普天間基地問題

http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20100430

沖縄の方のご意見をピックアップしてみます。
(上記リンク先を参照願います)
そして、なんと8人中 基地に反対されている方は1人でした。
もちろん、正しい統計にはなってませんけど沖縄の方にも「基地
賛成派」は存在するってことですよね。 (以下省略)と書かれてい
ました。 これを見ると反対の一人も米軍でなくて自衛隊が守れと
言っています。

JSN■沖縄県民緊急フォーラム「開会の挨拶」呼びかけ人 仲村俊子(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=L0jFY5_yDME&feature=player_embedded

【マスコミ隠蔽の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

愛信

鳩山政権、果てしない迷走
鳩山政権、果てしない迷走

http://blogs.jp.reuters.com/blog/2010/04/30/%e9%b3%a9%e5%b1%b1%e6%94%bf%e6%a8%a9%e3%80%81%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%97%e3%81%aa%e3%81%84%e8%bf%b7%e8%b5%b0/

参院選前に民主党の体制刷新で支持率
回復を狙うのでは、との読み筋が浮上している。
社民党は連立を離脱し、民主党は公明党やみんなの党などの
第3極と連立して政権維持を図るというものだが、果たしてどうな
るか。しばらく迷走が続きそうな気配だ。

国民は愚かでも、負託を受けた政治家が国民を騙した事を知った
らその政権は壊滅するだろう。

【経済・政治の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj.cgi

こまくさ

No title
↑賛成。

名無しは上品ではないように感じちゃいますよね。
ねずきち様のこのブログのコメント欄には、ふさわしくありません。
色字も出来ないようにしたら、どうでしょう?

あ太郎

名無し防止へ
可能なら、必ず【名前】を入れないとコメントできないようにしたほうがいいのでは? 

紫苑

【緊急事態発令】ネットで民主党叩くと犯罪になる法案成立へ

民主党を叩くと犯罪になるらしい!(ネタではありません)
ネットで民主党の誹謗中傷をした場合は犯罪になるらしいです。完全に言論の弾圧です。マスゴミや民主工作員の過剰な自民叩きは犯罪にならないのか(笑)

ネット選挙が今年の夏から可能になるらしく、民主党はこれで票を伸ばすのでしょう。工作員が民主党に票をたくさん入れてくれるでしょう。そこで、民主のことを叩くと犯罪。都合が良いですね...ご都合主義というか、独裁もいいところです。言論の自由はなし。中韓化しています。

詳しくはこの方のブログを。

http://ameblo.jp/minsyutousaiaku/entry-10520896993.html

ねずきち

「過去の話は過去形で頼む!」と書かれた名無しさんへ
現在進行形とか、過去形、たとえば「でした」というものを過去形とするようになったのは、英文の翻訳時に際してのことです。
日本語には、もともと現在形とか過去形とかいう表現形式の縛りはありません。
あなたの記述の「誇張記事に氾濫するデタラメ」にある「~する」は、現在系ですが、NHKの誇張記事は過去にもありました。
ということは、「誇張記事に氾濫する」は、現在から過去を指していることになり、であるとするならば、英文和訳の初歩では、「誇張記事に氾濫していた」と書かなければバツになります。
日本には、過去現在未来は一体であるという文化が根底にあり、基本的に現在形とか過去形といった表現形式のシバリはないのです。
ボクはそのように理解しています。
なお、この件については、これ以上、議論する気も、あらためる気もありませんので、何か書かれても、以降、いっさい無視または削除をしますので、あしからずご了承ください。

愛信

北京共産党の本質は、暴力と虚言
北京共産党の本質は、暴力と虚言

http://www.epochtimes.jp/jp/2010/04/html/d16103.htm

日本政府には一つのことを理解してほしい。北京共産党の本質は、
暴力と虚言なのだということである。つまり北京は、その政権を維持
するために、歴史を捻じ曲げることによって、日本社会を脅迫し続け
るということだ。

【マスコミ隠蔽の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

愛信

「たちあがれ日本」新宿西口・街頭演説会
「たちあがれ日本」新宿西口・街頭演説会

http://www.youtube.com/watch?v=JseayuEpIJ0&feature=player_embedded
(動画)
街頭演説会1共同代表・与謝野馨
街頭演説会2幹事長・園田博之
街頭演説会3参議院代表兼選挙対策委員長・藤井孝男
街頭演説会4参議院幹事長・中川義雄
街頭演説会5代表・平沼赳夫
街頭演説会6東京都知事・石原慎太郎

【参院選辻立の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/sgi.cgi

一有権者

No title
日本の航空産業は少しずつ隆盛を向かえ大戦前になると
中島、三菱、川崎、川西、愛知時計電機、さらには石川島、立川、昭和飛行機、九州(渡辺鉄工改め)等たくさんの製作会社が日本の国を防衛する為の飛行機を開発製作いたしました。

其の中で特に有名なのが海軍の零戦、97艦攻、99艦爆、一式陸攻や
陸軍の97戦、隼、二式単戦、飛燕、疾風等あります。

良く目にする書物では日本の基礎工業力が浅い為設計は一流だが製作技術が追い付かなかった事やエンジンの
製作技術、特に日本国にはこなすのが難しいとされた水冷エンジン(ダイムラーベンツ)の技術が物に出来なかったとあります。さらには電装部品等のレベルが低かったようで無線が使い物にならずアンテナ支柱を切り落として
軽量化を図ったとか、燃料の精製技術が悪くて欧米に
劣っていたといわれております。

しかし当時欧米諸国を除いては日本国が唯一飛行機を設計、製作できる有色民族である事は間違いなく最初は
英、独、米などから技術導入を図りながらも独自の技術開発をして翼端ねじり下げ、操縦ワイヤーの剛性低下方式による操縦感覚の違和感を解決するなど
欧米には無い独自技術もあったのです。

戦後それらを恐れた為に特にアメリカは日本の航空機産業を破綻させる為、7年に渡り禁止しましたし、今もその影響を受けたままであるのでしょう。

さて冷戦がおきなければそのまま日本国は農業国のような状態にされ、とても高度成長期など迎える事はできなかったかもしれません。
アメリカの日本に対する良い事、悪い事は一日本人として忘れる事は私はいたしません。

しかし世界地図を見て今の日本国の周辺国との外交状況を推察すれば、日米安保を齟齬にし破綻させる鳩山政権と民主党や社民党や共産党のような国防に関する無能無策を黙って見過ごすわけにはいきません。

現実に中国は20年以上に渡り軍備を増大させ、最新技術を他国から盗み性能もほぼ西側諸国のものと変わりないところまで来ているといわれております。

さらには中国海軍は数年後には航空母艦を運用する為に
現在建造を進めている状況です。
翻ってわが日本国は隣国の軍備増大に対し、防衛費を削減し装備の更新も人員の増員もままならない。

これでは私達の国日本国は近未来かつて中国の李鵬元首相が豪州の首相に言ったように亡くなってしまうことでしょう。このままでは本当にもう時間がありません。

-

過去の話は過去形で頼む!
>>を完成させます。
>>自信をつけた忠八は、いよいよ有人飛行機の設計に着手します
ねずきち氏
昔の話は絶対に過去形で書いてください、NHK、新聞ゴロの偏向、誘導、誇張記事に氾濫するデタラメ記述を真似るのを止めて欲しい! できないなら理由を毎回書き手欲しい。毎回初訪問者がいるはずだから。

杜若

No title
最後の一文にはほっとさせられました。
何事も自分の国から生まれたと主張して止まないどこかの国のことがふっと頭に過ぎるからかもしれません。

いつもながら有益なお話の発掘には感謝いたします。

左近尉

昭和帝の危惧したことは、アカの脅威

戦後の民主主義教育というのは、反日教育で日本の悪い点のみことさら、拡大して教えます。今日は昭和天皇の誕生日です。偉大な方で、現人神だったと想います。

日本人の誇りを発掘されている管理人様の、出稿をいつも楽しみにしております。

アカの脅威をことさら仰せではありませんでしたが、ソ連軍の参戦で日本臣民が虐殺されるのを恐れて、「終戦」のご決意との説もあります。
http://blog.goo.ne.jp/wagasato/e/1470455aba3f92348065153799d84f6c

♪子猫の記憶~『音』と『光』と『風』と未来永劫。[best]

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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
近日発売
『日本書紀』(タイトル未定)

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古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
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