良心を生きた人生・・・新島襄



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新島襄


新島襄(にいじまじょう)といえば、同志社大学の創設者として有名な人です。

福澤諭吉らと並ぶ、明治の「六大教育家」のひとりでもある。

後世の人から見れば、彼の人生は、光り輝く成功者のそれに見えるかもしれません。
しかし実際には、新島襄の人生は、まさに「苦難と誠実」の連続でした。

新島襄は、天保14(1843)年、江戸の神田で、上州安中藩板倉藩士の子として生まれています。

本名は新島七五三太(しめた)です。

七五三太(しめた)とは、おめでたい名前です。
これは、女の子が4人続いた後に、初の男の子が生まれた。
それで祖父が喜んで「しめた!」と叫んだことから、命名されたのだそうです。

ときはまだ江戸時代です。

その江戸に、新島が10歳のとき、黒船がやってきた。

彼は、元服して安中藩士となるけれど、このころになると、江戸幕府の外交は攘夷鎖国か開国かで大きく揺れています。

後年、新島が書いた「同志社大学の設立旨意」に、当時を振り返った一文があります。


~~~~~~~~~~

回顧すればすでに二十余年前、
幕政の末路、外交切迫して人心動揺するの時に際し、
余不肖、海外遊学の志を抱き、
脱藩して函館に赴き、
遂に元治元年六月十四日の夜、
竊(ひそ)かに国禁を犯し、米国商船に搭じ、
水夫となりて労役に服するおよそ一年間、やうやく米国ボストン府に達したりき。

~~~~~~~~~~~

新島は、海外渡航の志を抱きます。
しかし、当時はまだ鎖国の世です。

新島は、元治元(1864)年、満21歳で脱藩します。
ひとり国禁を破ってアメリカに密航しようと企てたのです。
そして函館に向かった。

函館では、ロシア領事館付の司祭だったニコライ・カサートキンと出あい、彼の協力を得て、函館から米船ベルリン号にもぐりこませてもらいます。

そして上海で、アメリカに向かうワイルド・ローヴァー号に乗り換えた。
これが、新島の運命を大きく展開させます。

船中で新島は、船長から、「ジョー」と呼んで可愛がられます。
それだけ彼は、働き者の好青年だった。

慶応元(1865)年7月、船はアメリカに到着します。
そこで船長から、船主のアルフュース・ハーディを紹介されます。

実は、ハーディは、過去に何度か貧しい青年を支援したことがあります。
しかし、いずれもうまくいかなかった。
みんな途中で、学問から逃げてしまうのです。
だからもう、外国人の青年の支援は止めようと夫婦で話し合っていた。

ハーディは、船長から新島の話を聞いたときも、はじめ、もういいよ、と断ったそうです。

しかしめずらしく船長があきらめない。
「とりあえず、これを読んでみてください」と、新島の書いた手紙をハーディーに差し出します。

ハーディは、いぶかしりながらも、手紙を読んでみます。

そこには、たどたどしい英語で、新島が、はじめてオランダの軍艦を見たときの衝撃からはじまり、日本の青年が外国に出て学ぶべき必要性が切々と書かれていた。

書いたものを見れば、たいがいの人はわかるものです。
一読したハーディは、新島の誠実な人柄を感じ取る。

そして彼に対する全面的支援を約束します。


ハーディの支援のもと、新島はボストンの北の町アンドーバーにある名門私立学校フィリップス・アカデミーに入学します。

そして、1年後には新島は、カトリックの洗礼を受ける。

先例のときに、新島は誓いを立てます。

禁酒禁煙、女色にふけらない、怒鳴らない、人の悪口を言わない、等々です。

すごいことに、新島はこの「誓い」を生涯かけて、守りとおします。
新島は存命中も、没後も「道楽を知らない真面目人間」と言われたそうです。
彼にとって「誓い」は、武士の一言でもあったのです。

新島はその後、アーモスト大学と、アンドーバー神学校に学びます。

ちなみに彼は、明治3(1870)年に、アマースト大学を卒業し、理学士の学位をとっています。これは、日本人初の学士の学位取得です。

このアマースト大学では、新島は、後に札幌農学校教頭となるウィリアム・スミス・クラーク博士から化学の授業を受けています。

クラーク博士にとっては、はじめて見る日本人です。

いままで世界中の学生を相手にしてきたクラークは、新島を通じて、日本にたいへんに興味を持つ。
そして後年、クラーク博士は、来日し、日本の教壇に立っています。

新島のまじめな学生としての態度は、初代の駐米公使となった森有礼にも知られることになります。
森は、新島を誇るべき日本人と認め、本来なら脱藩し、無許可出国した咎人である新島を、正式な日本人留学生として認可します。

さらに新島は、明治5(1872)年、アメリカ訪問をしていた岩倉使節団と会います。

使節団に同行していた木戸孝允は、新島の語学力に目をつけ、彼を4月16日から翌年1月にかけて自分付けの通訳官として使節団に同行させています。

おかげで新島は、使節団のお抱え通訳として、ニューヨークからヨーロッパへ渡り、フランス、スイス、ドイツ、ロシアを訪ね、ふたたびベルリンにもどって約7カ月間滞在し、使節団の報告書である「理事功程」を編集することになった。

この報告書の出来が素晴らしかったことから、新島は、日本の「欧米教育制度調査の委嘱」を受け、文部理事官・田中不二麿に随行して欧米各国の教育制度調査にも同行しています。


新島の外遊は、結局あしかけ9年の長期に及びます。

アメリカで学び、ヨーロッパを歴訪した新島は、日本型封建主義とはまったく異なる欧米型の自由と個性を尊ぶ徳育教育の重要性を実感した。

それで「日本にも知徳兼備の学校を作ろう」と決意します。

神学校を卒業して帰国を目前にた新島は、アメリカン・ボード(外国に宣教師を派遣するキリスト教組織)の年次総会に招待されました。

お別れの挨拶を述べるためです。

新島は壇上で、これまでお世話になった様々な人たちに心からの謝辞を述べたあと、自分は日本に帰って、日本の将来のために、キリスト教主義の学校を設立し、自治と自立に目覚めた青年を育てたいという志を語ります。

そして最後に、そのための基金のお願いを訴えた。

「学校建設のための基金を得ることなしに、日本に帰ることはできません。
私はそれを得るまでは、ここに立たせていただきます」

そう締めくくって檀上に立ちすくんだ新島の目からは、涙が溢れ出ていたそうです。

新島の熱意は聴衆の心を打ちました。
そして彼のもとには、5千ドルもの大金の寄付が集まった。

明治7(1874)年11月、新島は客船コロラド号に乗って、横浜に帰着します。
21歳で日本脱出を果たしてから、10年ぶりの帰国です。

新島七五三太は、名前はアメリカでジョセフと呼ばれていたことから、日本では襄(じょー)と名乗ることにします。


新島襄は、明治8(1875)年11月29日、官許同志社英学校を開校します。

ちなみに、この開校は決して順調に進んだ話ではありません。

そもそも学校の候補地は、神戸か大阪だったのですが、府知事の許可が出なかったのです。

まだまだついこの間までは、日本は鎖国していたのです。
しかもキリシタンは、ご禁制だった。

そのキリシタン学校を造るというのです。
そりゃあ、反対もされる。

ようやく知事の認可をもらえたのが京都だったのですが、その京都は古都です。
神社もあれば仏閣もある。
ある意味、もっとも日本的なものが色濃い街です。
そこにキリスト教系学校を造るという。

しかし京都は、日本の古都であり、仏教の中心地です。
そこにキリスト教の学校を作るとは何事か!これはまさに暴挙である、ということになって、猛烈な排斥運動が起きる。
キリスト教系学校設立反対の大集会が繰り返し行われています。

新島は、それら抗議にじっと耐えます。
そして、私は自由を尊び、それを守る精神を青年たちに植え付けるために学校を建てるのです」と、誠実に説得を繰り返した。

どんな罵詈雑言にも、じっと耐えた。
あらゆる罵声に、じっと耐えます。

一方、敷地については、新島の旧主家の板倉氏を通じ、かねてより親交の深かった公家華族の高松保実子爵の紹介を得て、京都にある高松家の別邸の半分を借り受けることに成功します。

もと主君の板倉家は、京都所司代を務めたこともある家柄です。
そのご縁で、公家華族とも広く親交があったのです。

新島は、京都府知事槇村正直、府顧問山本覚馬の賛同を得て、官許同志社英学校を開校にこぎつけます。
32歳の若い学校長です。

ちなみに新島は、翌年、この山元覚馬の娘を妻にむかえています。

世間からはありとあらゆる非難中傷を浴びている新島だけれど、みる人はちゃんとその人物をみていたのです。


しかし、ようやく開校にこぎつけた同志社英語学校は、開校時の教員は新島本人と、デイヴィスの2名だけ。

他の教員予定者には、拒否されています。

教師予定だった宣教師たちは、「学校はあくまで建前で、本音は伝道師養成機関」だというのです。

しかし新島は、聖書と神学を学ぶ学校ではなく、キリスト教精神に基づいて、あくまで「日本」の独立のために命がけで働く人材を育成する学校にしたいと主張したのです。

この調整がつかない。

結局、教師は2名だけでの船出となった。

他方、生徒の方はというと、元良勇次郎、中島力造、上野栄三郎ら、たった8人だけです。

これではとてもじゃないけれど、学校の維持運営費はでません。

新島は、アメリカで集めた寄付金も底を尽き、新島は、教師としての役割よりも、紹介を訪ねて、日本国中を飛び回っての金策に追われるようになる。

すると新島は、こんどは金集め、人騙しの詐欺男だとののしられた。

経済的には恵まれなかったけれど、新島の誠実な態度に、同志社英学校は、それでも、徐々に生徒数や教師数を増やして行きます。


ところが、明治12(1879)年になって、大問題が発生した。

生徒たちが全員で無届け集団欠席をしたのです。
朝来たら、生徒が誰も来ていない。

じつはこのとき、学校は、前年の新入生の数が少なすぎたために、授業料が必要な額集まらず、学校の運営に支障をきたしていたのです。

そこでこの年の一月、生徒の再募集をかけた。

当初からの一年生と、途中からはいった新一年生とでは、カリキュラムの進捗が異なります。

なので当初は、同じ1年生でも、クラスを別々にした。

ところが、経営難であるという観点から、校長不在中に、幹部教師らが相談して、これを一つのクラスにまとめてしまったのです。

これに生徒たちが反発します。

学校はまともな授業をする気があるのか!? というわけです。

そこへもともと学校運営に不満を持っていた上級生が相乗りし、全学年全員の集団欠席事件となったのです。

知らせをうけた新島は、急きょ学校に戻り、不満組の生徒を説得し、とりあえず授業は再開します。

ところが今度は、ストライキをした生徒たちが、別の問題で騒ぎだした。

校則の違反者を「処分もしないで放置するのは、おかしい」というわけです。

さらには、校長不在中に勝手にクラスを合併した幹部教師の行動も問題になった。

一方的にクラスを再編した教師の責任は、どうなるのか、というわけです。


明治13(1880)年4月13日、新島は、朝礼に全校生徒と、教師全員を集めます。

そして「このたびの事件は、教師の罪でも、生徒諸君の罪でもありません。
すべて私の不徳から生じたものです。
しかし校則は厳としたものです。
されば校長である私はその罪人を罰します」と述べた。

罰する? なに?とみていると、新島は右手に持っていたステッキで自らの左手を打ち据えた。

ビシッと音がします。

あっという間の出来事です。
誰もが呆然と見ている他なかった。

ステッキが、空気を切り裂き、ヒュンとうなり声をあげます。

そして、ビシッと左手に当たる。

またステッキが降りあげられる。

打ちおろされる。

左手にあたる。

3度、4度、5度。。。。

余程の力で打っています。
丈夫そうなステッキが、真っ二つに折れる。

それでも新島校長は、短くなったステッキでなおも左手を打ち続けます。

6度、9度、10度。。。。


処分を求めた生徒たちは、頬が引きつり、青ざめてうなだれます。

時折、嗚咽する声も聞こえてきた。


15度、16度、20度。。。。

生徒の一人が壇上に駆け上がります。
そして新島が降りあげたステッキを持つ右手を抑えます。

そして首を横に振る。

「校長、もうやめてください」とその眼が訴えているけれど、涙で声も出ない。

ただ、涙を流しながら、首を横に振り続ける。

その生徒が、処分を最も強硬に主張していた生徒だったそうです。

折れたステッキを持つ手を押さえられたまま、新島は生徒たちに言います。

「諸君、同志社がいかに校則を重んずるところかわかったでしょう?」

新島がステッキを投げ捨てて、朝礼台を降ります。


これが有名な、新島の自責事件です。



明治21(1888)年、新島襄は20をこえる新聞、雑誌に「同志社大学設立の旨意」を公表しした。

官許同志社英学校を、大学にするというのです。

この文章は、全文を読むことができます。
 ↓ ↓
http://www.doshisha.ac.jp/information/outline/pdf/dosh_set.pdf

文章は、前半で同志社諸学校開設にいたる経緯を語り、後半で今なぜその上に大学が必要なのか、いかなる大学であるべきかを論じています。

この「設立旨意」は、同志社大学では毎年、入学式で一部朗読されているのだそうです。なので、卒業生の多くは、これを聴くと、胸の高まりをおぼえるといいます。


実は、これが書かれた当時、日本の大学は、東京大学ただ一校だけでした。

教育は「人民の手に拠(よ)って設立」されるべきと考える新島は、官立大学ではなく、私立大学の必要性を説いたのです。

国家がお金を出す官立ではなく、全国の賛同する志士によって、自発的な教育機関を創ろうというのです。

いちばん最初に、新島がアメリカで寄付金集めに成功したときの成功体験が、彼にはあったのかもしれません。

しかしここは日本です。
寄付という概念は、あまり、ない。

新島は、同志社英語学校の大学化のため、さらに資金集めに追われることになります。

そして経営、資金繰り、資金集め、学校運営、教壇にと、毎日寝る間も惜しんで走り回ることになる。

新島は、この自責事件の頃から体調を崩します。

時折、視線がさまようようになり、吐息や頭痛が出るようになった。
体が動かず、早くから寝込むこともしばしばになります。

衰えることのない同志社への拒絶運動。
慢性的な経営難。

新島の心臓は、心労で蝕まれます。

それでも無理に無理を重ねながら、寄付集めに東奔西走する新島の姿は、涙を誘うものすらあったといいます。

明治22(1889)年秋、新島は、過労のために前橋で倒れ込んでしまいます。

遊説と寄付集めの途上だったそうです。

そして年が明けた1月23日、静養で訪れていた大磯で、妻の八重や教え子たちに見守られながら、ついに息を引き取る。

享年47歳。

遺体は翌日、自宅のある京都に運ばれます。

駅から自宅まで、生徒たちによって、かわるがわる棺が担がれた。

粉雪が舞う夜道を、ゆっくり進む生徒たち、OBたちの誰もが、そのとき目を腫らし、嗚咽していたそうです。

「一国の良心たる人物を育てたい」

新島が、その思いを自らの肉体を犠牲にしながら一直線に進んだ男であることを、誰もが感じていたのです。


新島襄の思想は、やや日本の江戸時代的厳格教育とは、一線を画し、自由な精神を解放し、謳歌するという進歩的な要素を持つものです。

ねずきちは、思想的には新島襄はあまり好きになれません。

しかし、ひとつの正義、ひとつの意思のために、生涯をかけて身を清め、苦労を重ねた彼の人生に対する姿勢は、実に素晴らしいと思います。

一昨日の記事で「天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ」という言葉をご紹介しましたが、いつでもどんなときでも、いかに苦境にあっても、「道を正して」生きるということは、とても大切なことなのだと思います。

これが、なかなかむつかしいんですけどね。。。

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コメント

nini

No title
先見の明があった人。

日本と日本人が封建的でなく人権を敬う国であったならば、新島襄はもっと評価されていた人でしょうな。キリスト教というのが当時の一般的な日本人からは異端扱いされて、ネックだったのかもしれない。しかし、現代においても人材教育や個人の自由(思想、表現、言論等)、人権をおろそかにしているせいで、日本は建国の歴史の浅いアメリカや他の国々に様々な面で遅れをとる事になっている。

アメリカが40年位で黒人差別を減らしてきたのに対して、多くの日本人はまだ人種差別をも克服していない。何故なら、単一民族的な国家では、全く考え方や価値観の違う人間と共存すると言う事態に直面していないからだ。180°違う考えを尊重しつつも共存し対等の立場で接するという事に疎いからである。(ヒエラルキーがある言語にも関係しているが。)どうしても、共感やある程度の共通認識が念頭にあるコミュニティーの形成になってしまう。

言うまでも無く日本の技術は素晴らしいが、特に人間的な暮らしやシステム、精神的な面においての進歩はまだまだだ。それは政治力や人間力にも関係しているといえるし、未だに日本人は政治家や企業家であっても名前や顔が見えてこない、と言われる所以である。他国に学んでいるうちは、他国が歩み寄ってくる位の魅力が無いうちは世界をリード出来ない。それには自分で様々なアイディアを考える事が出来る自由な発想を持つ人材の育成と、前例の無いアイディアを許容する環境が必要。日本は未だに加工貿易の国と言われており、この辺は戦前とそんなに変わっていない。創造性のある人間育成より、誰かの作った組織の手となり足となり労働力となる人間を重視している故だろう。このあたりの意識が変わらない限り世界において日本人が主導権を握るのは難しいであろう。

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(続)なぜマルクス・レーニン主義は地獄の門を開くのか 05.2.17
 にもかかわらず、ソ連共産党は、社会主義を実現すれば失業や貧困は消滅と錯覚宣伝し、官有企業に全人民を労働者として雇用してしまった。結果、ソ連の財政は破綻し、かくしてソ連は崩壊したのである。

 最近中国共産党はマルクス・レーニン主義の誤解に気付いたのか、官有企業のリストラを遂行し、失業者を増大させているが…。

 マルクスは人類史の発展を「原始共産制」→「奴隷制」→「封建制」→「資本主義」→「社会主義」→「共産主義」と断定する。マルクスが人間が動物状態(自然状態)にあった「原始共産制」を理想社会とした理由は、彼がルソーの「人間不平等起源論」に心酔していたからである。

 啓蒙思想家とされるジャン・ジャック・ルソーの正体は、人間皆帰動物化を煽動した退嬰的野蛮人である。
 ルソーは、貧しい職人の子として生まれ、母親の顔を知らず、飲んだくれの父親に10歳で奉公に出され、16歳で放浪の旅に出た。

 ルソーは、窃盗あるいは貴婦人のツバメ(男の愛人稼業、売春業)をして生計を立て、世間の迫害を受けながら各地を放浪するという野蛮で陰惨な人生を送った。

 だからルソーは、被害妄想の虜となり、盗人ルソーを迫害した私有財産制度とこれを保護する法律を憎悪し、姦通者ルソーを迫害した道徳貞操名誉の観念を憎悪し、孤独人ルソーとは無縁の存在であった家族、学校、教会、伝統文化を憎悪し、そして国家社会より迫害された放浪者ルソーより幸福な人間達―王侯、貴族、商人、僧侶、富裕者を嫉妬し、これらの多様性、不平等が存在する社会と国家を、激烈に嫉妬憎悪し、遂には錯乱して、人間はこれらを否定して、皆ひとしく平等にルソーのように野蛮で孤独に動物のごとく生きることが至福であり理想である、と妄想するに至ったのだ。

 ルソーが錯乱し、妄想していた証拠は、彼の次の告白である。

 「一人徒歩で旅したときほど、豊かに考え、豊かに存在し、豊かに生き、あえて云うならば、豊かに自分自身であったことはないのです。」

 そこでルソーは、人類動物化計画を遂行するために、まず女中に生ませた5人の彼の子供を動物にするため自然の中に捨て、さらに美しい言葉、レトリックを連ね、動物社会、自然状態、未開人を礼賛する一方、これらには存在しないもの(王制、私有、不平等など)を罵倒する、前代未聞の煽動書を執筆した。

 それが「人間不平等起源論」「社会契約論」「エミール」なのである。


<ルソーの不平等起源論>

 「もっとも痛ましいことは、人類のあらゆる進歩が原始状態から人間をたえず遠ざけるために、われわれが新しい知識を蓄積すればするほど、ますますわれわれはあらゆる知識のなかでもっとも重要なものを獲得する手段をみずから捨てるということである。」(26p、進歩知識の否定)

 「人間は、本来相互に平等である。それはどの種の動物もみな平等であったのと同じである。」(26p、不平等の否定、人間の動物化)

 「自然状態において、法律、習俗、美徳のかわりをするものは憐れみであり、しかもその優しい声には誰も逆らおうとしないという長所がある。」(75p、自然状態の礼賛、法律、慣習、道徳の否定)

 「永久の貞節の義務がただ姦通者を作るのに役立つだけで、貞操と名誉の法律そのものが必然的に淫蕩を拡め堕胎を増加させている。」(79p、ルソーを姦通者として迫害した貞操、名誉の法律に対する憎悪と罵倒。)

 「従属のきずなは自然状態には存在しないから、そこではだれでも束縛から自由であり、強者の法律は無用になっている。」(83p、自然状態の礼賛、法秩序の否定)

 「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と宣言することを思いつき、それをそのまま信ずるほどおめでたい人々見つけた者が、政治社会(国家)の真の創立者であった。杭を引き抜きあるいは溝を埋めながら、『こんないかさま師の言うことなんか聞かないように気をつけろ。

 果実は万人のものであり、土地はだれのものでもないことを忘れるなら、それこそ身の破滅だぞ』とその同胞にむかって叫んだ者がかりにあったとしたら、その人は、いかに多くの犯罪と戦争と殺人とを、またいかに多くの悲惨と恐怖とを人類に免れさせてやれたであろう?」(85p、私有財産制度と政治社会国家の否定)

 「家族の設立とその区別とを形成し、そして一種の私有財産を導き入れた最初の革命の時代であった、恐らくその私有財産はすでにいくたの争いや戦いもみなもととなったであろう。」(90p、私有財産とこれを蓄積する家族の否定)

 「人類は次第に従順になってゆき、結合は広がり、きずなは緊密になる。人々は小屋の前や大木のまわりに集会することに慣れた。

 恋愛と余暇の真の子供である歌謡と舞踊が、暇になってむれ集まった男女の楽しみ、というより仕事となった。各人は他人に注目し、自分も注目されたいと思いはじめ、こうして公の尊敬を受けることが、一つの価値をもつようになった。

 もっとも上手に歌い、または踊る者、もっとも美しい者、もっとも強い者、もっとも巧みな者、あるいはもっとも雄弁な者が、もっとも重んじられる者となった。そしてこれが不平等への、また同時に悪徳への第一歩であった。

 この最初の選り好みから一方では虚栄と軽侮とが、他方では恥辱と羨望が生まれた。」(94p、人間の絆、向上心、道徳心、不平等の憎悪嫉妬否定)

 「原始状態における人間ほど優しいものはないのであった。私有のないところに不正はありえない。」(95p、原始状態の礼賛、私有財産制度の否定)

 「人々がただひとりでできる仕事や、数人の手の協力を必要としない技術だけに専心していたかぎり、彼等は自由に健康に善良に幸福に生き、そしてたがいに、独立の状態での交流のたのしさを享受しつづけたのであった。

 ところが人間が他の人間を必要とするやいなや、またただひとりのために二人分の貯えをもつことが有効であると気づくやいなや、平等は消え失せ、私有が導入され労働が必要となった。やがてそこには収穫と共に奴隷制と貧困が芽生え、生長するのが見られるようになった。」(95p、人間の孤立化の礼賛、人間のきずな、私有財産制度の否定)

 自然(原始)状態、未開人、動物社会を礼賛し、

 「私の語ろうとしている時代は非常に遠い昔である。なんとお前はかつての姿から変わってしまったことだろう!お前も、お前の種がとどまっていてほしかったと思うような時代を求めるだろう。現在の状態に不満のお前は、恐らく、もう一度むかしに返れればよいがと望むだろう。

 そしてこの感情はお前の最初の祖先への讃辞や同時代人への批判となり、不幸にもお前の後に生きる者にとっての恐怖を呼び起すに違いない」(39~40p)

と叫んだルソーの人間不平等起源論に対して、ヴォルテール曰く、 

 「いまだかつて、人間をけだものにみせようとして、こんなに才智が用いられたことはありません。あなたの著作を読むと、ひとは四つ足で歩きたくなります。」(ヴォルテールからルソーへの手紙)

 1975~78年、ポルポトらのカンボジア共産党(クメール人民革命党、通称クメールルージュ)が、都市、科学技術、伝統文化、家族、私有、貨幣を否定破壊し、資本家、知識人、僧侶、反革命勢力など約200万以上の国民を虐殺し、生き残った国民に野蛮な原始生活を強要したことは記憶に新しい。

 彼等は、フランス・ソルボンヌ大学留学中にフランス共産党に入党、ルソー思想に心酔し洗脳され、ルソーの人間不平等起源論を忠実に実行していたのだけなのだ。

 ポルポトだけではない、マルクスもエンゲルスもルソー信徒であり、彼等が私有財産、家族、法秩序、道徳倫理、伝統文化(過去)、国家を罵倒否定した動機は、これらが動物社会に存在しないからであり、読者を洗脳煽動してこれらを破壊させ、人間社会を動物社会に貶めようとしたのである。

 現代日本において、これらを罵倒し破壊しようとしている田嶋陽子、「娘が18歳になったら家族の解散式を行う」と公言して憚らない福島瑞穂、これらを否定する歴史公民教科書の左翼人執筆者、道徳倫理を否定しフリーセックスを礼賛するフェミニストは、間違いなくルソー信徒であり、フロイトのリビドー理論をマルクス主義に結合させ、「共産革命のための武器はセックスだ。それで社会の倫理を突き崩せ」と檄を飛ばしたヘルベルト・マルクーゼを信奉し、社会秩序を混乱させ、共産革命勃発の土壌となる荒廃した社会を生み出し、日本の共産ロシア化、北朝鮮化を図ろうとしているのだ。

 だまされてはならない。

 子供を持つ親御さんは、学校の三者面談の時に担任の先生にルソーの評価を尋ねてみると良い。
 もし教師がルソーを絶賛する人物であれば、子供がルソー流のゆとり教育や反モラル教育の餌食になる恐れがある。子供が女子なら、頻発する教師のワイセツ行為の犠牲者になるかもしれない。

 教師に対する警戒を怠ってはならない。
http://oncon.seesaa.net/article/10763676.html

石原昌光

勝海舟も悲しんだ新島襄の死
ねずきち様こんにちわ
氷川清話にも新島襄が同志社大学の経営資金集めの為に奔走した話が出てきます。
海舟と新島襄は、元々は仲が良かったそうですが、襄が、同志社大学を立ち上げる時に、海舟に反対され(時期尚早とかなんとかの話)たあたりから仲違いしたらしいです。
海舟は、正直一本で世慣れていない襄の資金集めを批判的に見ていましたが、襄が病気になり、久しぶりに氷川邸を訪れたときは、「おまえさんも今回の事では大層骨折りをしたから、次は必ず上手くやれるよ。」と励ましましたが襄は間もなく亡くなったそうです。
海舟は、気の毒なことになった、、と悲しんだとか。

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日米安保条約では防げないシナ人による人口侵略という直接侵略
http://www.melma.com/backnumber_133212_4840556/
……「日米同盟が崩れたら、日本は中国の植民地になる」と言う認識は、完全に間違っている。日米同盟すなわち日米安保条約があっても、日本はシナ人の植民地になると言うのが、正確な認識である。

現在、日米安保条約は存在する。しかしシナ人による日本植民地化は、すでに開始されて急速に進行している。それは朝日新聞が昨年から断続的に連載している大型記事、「在日華人」を読んでみれば簡単に分かる。人間をどんどん送り込んでくるのだから、植民活動以外のなにものでもない。

そしていつまでも日米安保条約があると思うのも、これまた完全な間違いである。ソ連崩壊後、唯一の超大国といわれたアメリカは、現在は明らかに衰退している。一昨年の経済危機に見られるように経済的に衰えて行けば、世界に展開する膨大な軍事力を維持出来なくなる。いくら日本人が居てほしいとすがり付いても、出てゆくときにはあっさりと出てゆく。

したがってシナ人は、日本列島に対する軍事侵略を急ぐ必要は全く無い。人口侵略をどんどん推し進め、アメリカが出て行ったらそっくり頂戴して、百年前の日韓併合のように、併合してしまえばよいのである。
酒井 信彦(東京大学史料編纂所元教授)

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西田昌司参議院議員
1.【インターネットTV「超人大陸」に出演】
インターネットTV「超人大陸」に
西田昌司「法に隠れる鳩山・小沢氏 政治家の犯罪がまかり通る理由」
が配信されました。是非ご覧下さい。
 http://bit.ly/doe1HX


2.【番組出演のお知らせ】
「西部邁ゼミナール~戦後タブーをけっとばせ~」
《「社会保障の根拠は『弱者保護』か『社会安定』か」》(TOKYO MXTV)
が番組サイトで更新されました。(4週連続の第3回目)
 http://bit.ly/dhRpZm
タイトル:「社会保障の根拠は『弱者保護』か『社会安定』か」
 ※なお、5月 8日(土)11:00~11:30(最終回)
タイトル:「保守は近代主義とどう対峙するのか」
も是非、ご覧下さい。

杜若

No title
聖書の神とは、非常に短気ですね、、。それともその短気に意味があるのでしょうか。
ノアの時の洪水。ソドム、ゴモラへの裁きの火。
彼らに、救いようがないのは解るが、その後で、後悔したりする。
その辺が、そのまま白人のキリスト教観に現れている。
何故、マヤ文明を跡形もなく消し去ったのか、黒人を何故、人間と認識せず奴隷としてしか扱わなかったのか。
そのくせアメージンググレースなんて歌をセンチメンタルに歌う。
まさに、聖書がそのまま謄写されている。
だから、日本人は基本的にキリスト教を受け入れる事を由としないのではないかと考えたりする。

内村鑑三は、聖書よりも自分勝手なキリスト教の教理に嫌気がさして、せめて聖書にかえれと叫んだ。
その気持ちは痛いほど解ります。

過去のキリスト教にも危機が何度も存在した、一例ではヒュームの懐疑論なるものがあり、神の存在さえ疑われた。
それに対して、カントは純粋理性批判なるもので哲学と神学を切り離そうとした。

白人は何処までも理性的、論理的に物事を解決しようとするが、肝心なところをよく見落とす(特に感情の部分で)。
それが、キリスト教以外の宗教に対する、不寛容であり、人種差別であり、自分勝手な未来の構築だと思う。

日本ほど、キリスト教の不要な国はないと思う。すでにそれらの事(キリスト教の要旨)は、暗黙のうちに成り立っているから。
日本は、八百万の神を信じるが、この世が神の体ならばその全てを神とするのは整合性が取れている。

、、、。

スレとは関係ない方向にいってしまいました。
しかし、日本の現状をみると、開国時に日本を訪れ、この国だけは残したいと述懐された外国人の方々を失望させている現実があります。
今の時代に、新島襄のような方は非常に少ないといえるでしょうね。行動で人を感化させるような人が、、。
クラーク博士が、日本に来られた理由をはじめて知りました。
新島襄のような毅然とした日本人を生み出せる、そんな国家を取り戻したいと切実に感じます。

共通一次世代

日本の大学の法学部は大丈夫なのか?
中央大の教授陣の左翼ぶりは以前、こちらのコメント欄で教えて頂いたことがありますが、同志社も報道ステーションによく出る紫色に髪を染めた女性教授の妄言を聞くと呆然としてしまいます。慶応大もTBSのサンデーモーニングによく出る教授が「自衛隊は人殺し集団だ」というのを何度となく聞き、大学に対しても怒りが湧きます。何故こんな人間を教授として迎えるのか!?と。
多くの大学の法学部、社会学部等で、異常な教授陣が幅を利かせ、大学生に強引な思想を押し付けていることに腹が立ちます。

法学部の学生には先ず下記の東京裁判の動画を見て、法の下での「公正中立」とはどういうものかを頭に叩き込んで欲しいと思います。左翼教授らはこれを堂々と学生の前で教えることが出来るのか、と問いたい。

http://www.youtube.com/watch?v=grFZiNaNVds
【東京裁判名場面】・・・『補足動議(アメリカ人弁護人による)』より
============
ジョージ・A・ファーネス(被告・重光葵 弁護人)↓

「真に公正なな裁判を行うのならば、戦争に関係のない中立国の代表によって行われるべきで、勝者による敗者の裁判は決して公正ではあり得ない。」


ベンブルース・ブレークニー(被告・梅津美治郎 弁護人)↓

「戦争は犯罪ではない。
戦争に関し国際法の法規が存在し法規が存在していることは戦争の合法性を示す証拠であります。
戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法なら全く無意味です。

国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない。

歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が、法廷において犯罪として裁かれた試しは1つもない。
我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
しかし、そういう試みこそが、新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。
“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故にすべて当法廷により却下されねばならない。

国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。
何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであり、個人に対してではない。

個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである。」

※「戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。
戦争が合法的だからです。
つまり合法的な人殺しなのです。殺人行為の正当化です。
たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかったのです。

キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、ヒロシマに原爆を投下した者の名を挙げることができる。
投下を計画した参謀長の名も承知している。
その国の元首の名前も我々は承知している。

彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからです。
何の罪科でいかな証拠で戦争による殺人が違法なのか。
原爆を投下した者がいる!
この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる!
その人達が裁いているのだ。
彼らも殺人者ではないか。」※


※この下りは現在日本で発行されている速記録には「以下、通訳なし」として印刷されていない。ブレークニーの論法は必ずしも原爆という新兵器の非人道性を正面から攻撃するものではなかった。
しかし、昭和21年5月という時期、占領下の日本において原爆問題に触れることだけでも連合国代表によって構成される法廷を刺激したに違いない。

============(以上抜粋)

勝又智詩

No title
たるみっぱの腹をおっぴろげて国家の威厳を唱えても何の説得力も無いと思うんだが? 三島由紀夫がなぜあんなに弱い体を押して肉体改造に積極的に取り組んだのか、その意味を考えたことがあるんだろうか?

日教組? 別に勝手にやらしときゃいいんじゃね? たかがヴァカの組合だろ? ジミントー時代の中央集権の管理教育やめて、地域分権をもっと進めて、dqn教員の影響が及ばないような草の根的なネットワーク作っとけば、別にサヨがなんとほざこうが別にどうってこたあないと思うが? ジミントーは日教組ごときの何が不安なのかね? みだりに不安を煽って手を打たなかったり、誤った政策を行うのは小泉政権以降さんざんやられてきたことで、今その手法に国民から疑問が呈されているようだが? ちゃんと学習してるのだろうか?

あ    ー      も    う ゆ    と   り   ば   っ か

立命館と比較
同じ京都でも立命館とは違いますね。東の福沢・西の新島と個人的には評価して居ます。
時々「中核派」の方が御見えに成りますね・・・

kl

No title
有事法(=国民抹殺法案)の即時廃案を
政権交代の意味は有事法(=国民抹殺法案)の廃案が出来るかどうかにかかっている。
有事法のもとで家族殺しの共犯者がうろつく国に如何なる経済繁栄も文化の興隆も有り得ない。
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/kenpo05.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/gyakusatu.html
有事法の成立で、イラクやアフガンの家族を虐殺した侵略強盗殺人の共犯者日本人が
平穏な町を平気でうろつくようになってしまった。
侵略強盗殺人の共犯日本人が今裁かれることなく町を闊歩しているのだ。
命令されれば虐殺兵器の引き金を引くような人間が町ををうろつくようになればその国は
終わる。
言うまでもなく軍需経済(人殺し強盗経済)のことである。
軍需経済(人殺し強盗経済)の拡大のために、福祉や文化を根こそぎにするインチキ仕分けが開始された。

http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-40.html
調べてみて愕然とした。
漆間巌、大林宏、田母神俊雄,この3人のチンピラ。
現在の日本は極右が中枢に鎮座する国家に成り下がっていたのである。
http://image-search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=&p=iraq+massacre

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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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