サイパン島玉砕戦(1)



人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

サイパン島最大の町ガラパン
サイパン島最大の町ガラパン


サイパンの玉砕戦について書いてみようと思います。
昭和19(1944)年6月15日から7月9日にかけての戦いです。

ロバート・シャーロットという従軍記者が書いた「死闘サイパン」という本があります。
その本の中に、上陸第一日目の午後遅くにシャーロット自身の目の前で起こった出来事が書かれています。

~~~~~~~~~~~~
チャラン・カノアの未完成の滑走路の端で、その夜のためにタコツボをせっせと掘っていると、突然けたたましい叫び声が聞こえた。

「あの穴のなかに日本兵がいるぞ!」
そう叫んだ海兵隊員たちは、私がタコツボを掘っているところから約3メートルばかりはなれた、丸太でおおわれた砂丘の方を指さした。

その声が終わるやいなや、穴にひそんだ一人の日本兵が、われわれの頭上に乱射をあびせながら飛びだしてきた。
彼はそのとき銃剣で武装しているだけだった。
一人の海兵隊員が、この小男の日本兵を目がけて手榴弾を投げつけた。

その日本兵は痩せていて、身長1.5メートルにも足りなかった。
彼は爆裂によって吹きたおされた。
すると、この日本兵はふたたび立ちあがって、手にしていた銃剣を、敵に向けないで自分の腹に、差し向けた。

そして彼は、自分で腹を掻き斬ろうとしたが、まだハラキリをはじめないうちに、海兵隊の誰かが撃ち倒してしまった。
そのため、だれも切腹をおわりまで見られなかった。

しかし、日本兵はじつに頑強であった。
彼はまたもや起きあがった。

カービン銃を持った海兵隊員が、この日本兵にまた一発、撃ちこんだ。
それからさらに三発も撃った。

その最後の一弾は、この日本兵の真っ黒な頭の皮を3センチばかりはぎとった。
彼は苦しみでのたうちながら死んだのである。
~~~~~~~~~~~~~

いまとなっては、このときに勇敢な戦いをした日本人が、誰であったのかはわかりません。
水際作戦のために、海岸沿いに掘った穴のなかで、米艦隊からの猛爆をじっと堪え、おそらく戦友たちは全員爆撃にやられて死んでしまったのでしょう。

彼は、米兵たちが上陸してくるのを、タコつぼの中でじっと待ち、夕方の薄闇を待って、たったひとりの斬り込み突撃を図ったのでしょう。
当時としても、身長150cm足らずというのは、かなり小柄です。
しかも、痩せこけていました。
艦砲射撃のために、体中に大怪我をしていたかもしれません。

シャーロットは、「乱射をあびせながら飛びだしてきた」と書いていますが、当時の日本兵の持っている銃は、速射できるサブマシンガンではありません。
三八式歩兵銃です。
明治三八年制のこの銃には、米軍の銃のような速射能力はありません。
一発ごとに、ガチャンと弾をこめる。

なんと幼稚で古臭い銃を使っていたのかと、笑う人もいるかもしれません。
しかし、軍の装備にはその国の哲学が反映されます。
美意識といった方が適切かもしれません。

ハンディタイプの歩兵用機銃は、5.5ミリ弾を用います。連射するから反動を抑えるために、弾が小さくなる。
そして弾が小さい分、敵兵を容易に殺さず、怪我を負わせるにとどまります。

戦場は過酷なところです。
平時とは違います。
軍にとって、死亡した兵はそれまでですが、戦傷者は、救助しなければなりません。
そして戦傷者の増加は、軍の機動力を損ね、軍の敗北を招きやすくします。
悲しいことだけれど、それが現実です。
しかも大怪我をした兵士の多くは、結果としてはほとんど助かりません。
長く、痛い思いをして苦しみ抜いたあげく死亡します。

これに対し、三八式歩兵銃は、6・5ミリ弾を用います。
この弾は殺害力が大きい弾丸です。
当たった相手は、まず即死します。

卑怯な真似をして敵に余計な負担をかけさせない。
戦う時は健康な者同士で、正々堂々と戦う。
敵兵を殺すときは、一気に殺して、敵兵を苦しませない。
残酷なようだけれど、戦地においては長く苦しむよりは、即死した方が、撃たれた本人にとっては、幸せなことといえようかと思います。
しかも三八式歩兵銃は、連射や速射には向かないけれど、命中率が極端に高い。

敵軍に対し、正々堂々、最小の被害で戦意そのものを削ぎ、降伏に導く。
古臭いとか、連射力がないとか、後世の人たちからはボロカスに言われる三八式歩兵銃だけど、そこには、いかにも日本人らしい明確な哲学があります。

シャーロットが目撃した日本人が持っていたのは、その三八式歩兵銃です。
おそらく、タコつぼから這い出した日本人の兵隊さんは、歩兵銃で二発撃ち、二人の米兵を倒し、そのまま銃剣突撃して、敵をひとりでも多く倒そうとしたのでしょう。

身長わずか150cm、敵の米兵は、190cm台です。
オトナと子供くらいの体格差があり、しかも、敵は多数です。

それでもたったひとりで突撃をした日本人は、手榴弾で吹き飛ばされても立ち上がり(おそらくこの時点で、重傷を負っています)、万事休すと、腹切って戦友のもとに行こうとすることも許されず、銃で撃たれて転倒し、さらに3発を撃ち込まれ、頭の皮をはぎとられて(顔の傷はものすごい血が流れます)、そして「苦しみのうちに死んだ」と書かれています。

当時、サイパン島に立て篭もった日本の兵隊さんたちは、その戦いに勝ち目がないことは、とっくに知っていました。
けれど、サイパンには、多くの民間人もいるのです。
その民間人に対してさえも、米軍は容赦なく艦砲射撃やら航空機による爆撃を行い、しかも上陸すれば軍服を着た兵であろうが、民間人の女子供であろうが、まったく問答無用で殺戮をしかけてきたのです。
ならばもはや戦うことしか選択肢はありません。

そして同時に、サイパンを奪われることは、サイパンから日本本土に向けての空襲を許すことになります。
そうなれば、祖国にいる父や母、幼い兄弟姉妹、友人たち、大好きだった彼女たちが、同じように無差別に蹂躙され、殺されてしまうのです。
それを防ぐためには、一日でもいい。戦って、戦って、敵をこの島に釘付けにして、日本軍の怖さ、恐ろしさを、敵に知らしめる他はないです。

米軍が上陸した初日、夜襲をしかけようとする日本軍に対し、米軍は休みなく照明弾を打ち上げ、一晩中、海岸一帯を真昼のように明るく照らし出して防御を図りました。
日本軍は夜襲によってなんとか頽勢を挽回しようとするけれど、真昼のような明るさでは、夜襲の効果も半減してしまいます。

それでも我が軍は、夜襲を敢行しました。
米軍の絶え間ない照明弾によって、あたりは真昼のように明るい。
その中を圧倒的な米軍の火力を前にしながら、なんとか白兵戦に持ち込もうと突撃攻撃を行い、その日のうちに日本側の2個大隊と、横須賀第一陸戦隊がほぼ全滅しています。
日本軍は、島の北部へ退却しました。

翌16日、米軍第二七歩兵師団が上陸し、日本側の飛行場に向かって進撃してきました。
途中には、サトウキビ畑が広がっています。
日本側は、このサトウキビ畑にひそみ、米軍を襲いました。
やわらかいさとうきびでは、姿は隠せても、敵の猛射は防げません。
ですからこれは、捨て身の戦法でした。

米軍は火炎放射器で、畑をまるごと焼き払いました。
日本兵が、体中火だるまになって飛び出すと、それを全員で撃ち殺しました。
火が燃える。
日本人が飛び出す。
よってたかって撃ち殺す。

射撃する米兵にめがけて、火だるまになった日本兵が立ち上がって銃撃する。
米兵が撃ち殺される。
この日いっぱい、夜半までそうした戦いが繰り広げられました。

この日の夜も、日本側は、飛行場奪回のために戦車第九連隊(44輌)を先頭にたてた8000名で、米軍に総攻撃をかけました。
しかし、数十発連続して撃ったら、砲身が真っ赤に焼けて、撃てなくなる日本側の砲門に対し、米軍は、一時間に野戦砲800発、機銃1万発という猛射で、対抗します。
これにより日本側守備隊8000名が、ほぼ全滅してしまう。

18日の時点で、日本陸軍サイパン守備隊の斎藤義次中将は、飛行場を完全に放棄します。
けれどそのために、南部に残された日本軍が完全に孤立してしまいます。

ここまでの攻防戦で、ひとつ触れておかなければならないことがあります。
それは大本営の晴気誠(はるきまこと)陸軍参謀のことです。

サイパンにおいて、敵の上陸を水際で食い止めるようという作戦は、大本営の晴気誠陸軍参謀によるものです。
しかし、敵の圧倒的な火力の前に、結果として敵上陸を許し、さらに敵上陸後3日間の戦いは、日本側の敗退と多大な兵力の損耗に終わっています。
そもそも水際作戦のために、日本軍の陣地、火力は海岸付近に集中していたし、これが敵の艦砲射撃や空襲の的にもなってしまっていたのです。
このため守備隊は早々に壊滅してしまいました。

水際作戦を考案した大本営の晴気参謀は、この作戦の責任を感じ、自らサイパンへ行って玉砕戦を行いたいむね、志願しました。
けれど、いまさらひとりの参謀が行ったところでどうなるものでもないし、晴気参謀を送り届けるために損耗する兵力の方が、逆に高くついてしまいます。
さらに有能な参謀を失うことは、日本としても避けなければならないことです。
志願は、却下されました。

しかし、晴気参謀は、このときの作戦の失敗を、ずっと胸に抱き続けました。
そして、もはや水際では防衛戦はできないと、この後の作戦では、すべての作戦において、敵を内陸部に誘い込んでの抵抗戦に切り替え、米軍の損耗を増やしました。

そしてすべての戦いに、頭脳と智慧の限りを尽くした晴気参謀は、終戦を迎えた昭和20年8月17日、それまでの戦いの全責任をとって、大本営馬場の上にある大正天皇御野立所に正座し、同期生に介錯を依頼して古式に則って見事、割腹自決を遂げています。

晴気誠陸軍少佐
晴気誠陸軍少佐


晴気少佐は、8月10日に遺書を先にしたためています。
割腹は、覚悟の上のものだったと推察されます。

~~~~~~~~~~~~~
戦いは遠からず終わることと思う。
しかして、それが如何なる形に於て実現するにせよ、予はこの世を去らねばならぬ。
地下に赴いて九段の下に眠る幾十万の勇士、戦禍の下に散った人々に、お詫びを申し上ぐることは、予の当然とるべき厳粛なる武人の道である。

サイパンにて散るべかりし命を、今日まで永らえて来た予の心中を察せられよ。
武人の妻として、よくご納得がいくことと思う。
しかして、予の肉体は消ゆるとも、我が精神は断じて滅するものにあらず。
魂はあく迄皇国を護持せんのみ。
予はここにこの世におけるお別れの言葉を草するにあたり、十年間、予と共に苦難の途を切り抜け、予が無二の内助者たりし貴女に衷心より感謝の意を捧ぐ。

又、予は絶対の信頼を以て、三子を託して、武人の道に殉じ得る我身を幸福に思う。
然るに、夫として、又父として物質的、家庭的に、何等尽すことを得ざりし事を全く済まぬと思う。

今に臨んで、遺言として残すべきものは何ものもない。
予が精神、貴女が今後進むべき道は、予が平素の言、其の都度送りし書信に尽く。
三子を予と思い、皇国に尽す人間に育ててもらえれば、これ以上何もお願いすることはない。
三子には未だ幼き故に何事も申し遺さぬ、物心つくに伴い、貴女より予が遺志を伝えられよ。
予がなきあと、予が残したる三子と共に、更に嶮しき荊の道を雄々しく進まんとする貴女の前途に、神の加護あらんことを祈る。

予が魂、また共にあらん。

昭和二十年八月十日記
~~~~~~~~~~~~~

※明日の記事に続く

 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

サイパン島玉砕1


日本の心を伝える会 日心会
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんの学ぼう日本の最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

新谷

感動
凄いの一言。武人の矜持。

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

銃器マニア

銃器について
すみません、銃器に関してはあまりお詳しくはないようなので、「ハンディタイプの歩兵用機銃は、5.5ミリ弾を用います。」とのことですが、現在米軍が使用している5.56ミリ弾と混同なさっておられるのかも?、当時の米軍の使用した短機関銃はトンプソンM1A1で45口径拳銃弾を発射するものです。45口径拳銃弾はすざまじい威力で喰らったら一たまりもありません。
それから、同じく米軍の使用した歩兵銃は日本軍の6.5ミリ弾よりもさらに強力な7.62ミリ弾使用のM1ガーランドライフルで、頭を撃たれたらふっ飛んでしまったことでしょう。
文句をつける気などありませんが、マニアとしてはついWW。

一都民

No title
ネットで 勉強しますが、結論は、国が存在できるのは、民度とか文明度ではない!
最後は軍事力で何でも出来るが、小生のつたない頭でも
理解できます! ギリシャ、ローマも高度の文明を持っていたが、長期の支配から堕落(腐敗ですか)で、周辺の蛮族(これも馬鹿な小生うまく言えませんが)が隙をうかがって侵略! 中国も高度文明を作った漢民族はずっと昔に周辺蛮族に侵略され、その蛮族(北方系)は文化を持ってないが、侵略しその文明、文化を踏襲。これが 世界史では? 軍事力なくして、民族の存在なし!!じゃないでしょうか。日本は民族滅亡の瀬戸際にある。でも それも知らぬ国民! 日本が滅亡する危惧を感じます!

-

緊急事態!
7月が悪夢となる!動画拡散及び、再生支援推奨!
↓7月1日 中国_国防動員法 日本_個人観光ビザ緩和 同時施行
 http://www.youtube.com/watch?v=HhzbxtrQmdM&feature=player_embedded
 
↓【拡散】中国人ノービザ(状態)は7月1日=10倍の中国人
http://www.youtube.com/watch?v=svNXWPeUX5E&feature=player_embedded#!

敢闘軍

五月二十五日は楠公祭
…正成座上に居つつ、舎弟の正季に向かって、そもそも最期の一念に依って、善悪の生を引くといへり。
九界の間になにが御返の願なると問ひければ、正季からからと打ち笑ひて、
七生まで唯同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ申しければ、
正成よに嬉しげなる気色にて、罪業深き悪念なれども我も斯様に思ふなり。
いざさらば同じく生を替へて、この本懐を達せんと契って、兄弟ともに刺違へて、同じ枕に伏しにけり。…
そもそも元弘より以来、忝なくも此君にたのまれ進らせて、忠を致し功に誇る者幾千万ぞや。
然れども此乱又出来て後、仁を知らぬ者は、朝恩を捨てて敵に属し、勇なき者は、苟くも死を免れんとて刑戮にあひ、
智なき者は、時の変を弁ぜずして、道に違ふ事のみありしに、智仁勇の三徳を兼ねて、死を善道に守るは、
古より今に至るまで、正成ほどの者は未だなかりつるに、兄弟共に自害しけるこそ、
聖主再び国を失ひて、逆臣横に威を振ふべき、其前表の験なれ。

■忠臣から悪党へ言い換えたNHKが絶滅させた日本産トキ■

昭和44年(1969年)、NHKがトキの営巣地である黒滝山上空にヘリコプターを飛ばし、
空撮を行ったことからトキが営巣地を放棄。

トキがまだ自然繁殖していた頃、ヘリコプターを巣営区域に飛ばしまくって
トキは驚いて巣営に向かない山へ避難、絶滅の手助けをしたのがNHKです。
この番組の関係者は、「絶滅の危機にあるトキの状況を訴えたかった」と述べてますが、
巣営に向かない山に作られたトキの多くの巣が元からいたカラスなどに荒らされ、
自然繁殖が不可能になりました。トキの学名は、ニッポニア・ニッポン。
さすが、日本が大嫌いなNHKのやることです。
http://www.youtube.com/watch?v=yKNGGfcPipQ
http://www.youtube.com/watch?v=lAl28d6tbko

-

民主党政権は何が危ないか?
SakuraSoTV 2010年05月28日◆民主党政権は何が危ないか?
パネリスト:
 宇田川敬介(国会新聞社編集次長・ジャーナリスト)
 江崎道朗(日本会議専任研究員)
 上島嘉郎(月刊「正論」編集長)
 土屋たかゆき(東京都議会議員)
 西田昌司(参議院議員)
 西村幸祐(評論家・ジャーナリスト)
 西村眞悟(前衆議院議員)
司会:水島総

1/2【討論!】民主党政権は何が危ないか?
http://www.youtube.com/watch?v=SiSbONk2jtc&feature=channel

2/2【討論!】民主党政権は何が危ないか?
http://www.youtube.com/watch?v=f2JuNKTwHH8&feature=channel

-

No title
2010年05月28日 アンカー 赤松大臣「だから早く殺せって言ってるのに(笑)」
http://ameblo.jp/heartsupple/entry-10547702319.html

サイパン
サイパンが日本の最後の砦と最初から強力な布陣で、外に力を回さなければ良かったと思うことも有ります。
攻めてくる方は5倍の力を要すると言います。日本の防御線の取り方、矢張り飯を十分食えるところまでと決めておく、将来はこんな戦争は無いでしょうが、攻められたときの対処は国家としては普段からの常識と考えて欲しいものです。

敢闘軍

サイパンの虎。
「馬鹿!」彼ら、堀内[一等兵]の怒鳴る声が聞こえた。
「こっちだ。早くしろ!」刺青の無法者は、腕に持った機関銃を彼らに向けて、ジャングルの中に入るように身振りで示した。…
堀内は、自分たちの前進を隠そうとはしなかった。彼は、自分たちが立てる雑音に頓着せず、可能な 限りの速さで、もつれた蔓草の中を突き進んだ。
天性の戦士である元ヤクザは、敵がすべての注意を道で発見した日本兵に向けている間に、敵の側面に進んだのである。
突然、彼は、ジャングルの中を腹ばいになって、日本兵のいる道に向かって進んで行くアメリカ兵たちを見た。
一人も、彼の方を見ない。彼の機関銃が火を噴いた。そして、彼は、自分の軽機関銃の弾丸が撃ち込まれた死体の数を数えた。
…後ろについてきた日本兵たちが、堀内のところへ着いたときには、生きているアメリカ兵は一人もいなかった。
彼らは、堀内が「45」と言ってから、唸るように「行こうぜ」と言うのを聞いた。

…20名以上のアメリカ兵が、その刺青の男に銃弾を注いだ。
男は、後ろへよろめいたが、まだ機関銃を蔓草で支えていた。しかし、彼の指は引金にかかったまま動かなくなっいた。
男が死んでしまってからも、アメリカ兵の銃弾はいつまでも男の立っていた場所に降り注がれた。

■サイパン玉砕後、日本軍の拠点峰『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』より
●ドン・ジョーンズ著●中村定・訳●祥伝社・刊 より

-

普天間・竹島問題
2010/5/28衆院安全保障委・小泉進次郎(自民)-普天間問題を追求!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10872399

【竹島問題】2010/5/28 衆・安全保障委員会 自由民主党 新藤義孝議員
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10871870

普天間移設問題に関しては内閣不一致のままで進展は全く無い。 一方、竹島問題は更に深刻になりつつあり、韓国政府の許可のもと、鬱陵島と竹島を定期就航便で連絡させる事業計画が進行しているとのことだ。 新藤議員は、明日5/29に控える日韓首脳会議で本件を議題に取り上げるよう岡田外務大臣に強く迫るが、大臣は飽くまで明言を避けるのであった。

hanawa

No title
ご存知とは思いますが、一応。

★田中徳祐『我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実』 (立風書房、1983年)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J7B2LK/mixi02-22/
サイパンで生き残った田中徳祐・元陸軍大尉(独立混成第47旅団)は次のような事実を自らの目で目撃している。
①「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、数台のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。
②滑走路に集った老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火がつけられた。忽ち阿鼻叫喚の巷と化した滑走路。我慢ならず我兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に蛮行を続ける。
③火から逃れようとする老人や子供を、米兵はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばして火の中へ投げ入れる。二人の米兵は、草むらで泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を持ってまっ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。「ギャッ!」といふ悲鳴を残して蛙のように股裂きにされた日本の赤ん坊とそれを見て笑ふ鬼畜の米兵士。
④こんなに優勢な戦闘にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。
⑤マッピ岬にHり付いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串さしにされた婦人を見た。更に自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて倒れてゐるのを眼前に見た。米軍の残忍非道から名誉と身を守るために「天皇陛下万歳」を奉唱してマッピ岬から太平洋に見を躍らせた老人、婦女子や、左腕に注射針を刺し、君が代と従軍歌「砲筒の響遠ざかる・・・」を斉唱しつつ自らの命を断った十余名の従軍看護婦達の最期を田中は見てゐる。


リンドバーグの従軍記、ジョン・ダワー『容赦なき戦争』などにも米兵の暴虐の様子が。

-

露海軍 3艦隊旗艦が日本海で演習へ: The Voice of Russia
ロシア海軍は6月、日本海沖で大規模な演習を実施する。ノーヴォスチ通信が26日、太平洋艦隊報道官の話として報じた。

演習に参加するのは太平洋艦隊、北方艦隊、黒海艦隊それぞれの旗艦であるミサイル巡洋艦の「ワリャーグ」号、「ピョートル・ヴェリーキー(ピョートル大帝)」号、「モスクワ」号。艦隊間の連携を確認する。モスクワ号が27日にウラジオストク近郊のフォキノに係留し、全艦が集まる。

正確な日時は明らかにされていない。10以上の課題を遂行するとのこと。
http://obiekt.seesaa.net/article/151343953.html

gtea

No title
ねずきちさん、おはようございます。いつも更新ご苦労さまです。
去年の9月にあげた私のエントリーですが、TBが上手くいかないんで、こちらにコピーしておきます。↓
http://gtea.iza.ne.jp/blog/entry/1215681/
私が、戦前の日本と真摯に向き合う切欠となった体験です。この時同行してくれた小学生も今は立派な社会人になっている筈です。今の彼等がどんな思想を持つに至ったかは、知る由もありませんが、立派な日本人に育ってくれていると信じています。
非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
15:00~19:00
定休日  木曜日

スポンサードリンク

カレンダー

08 | 2021/09 | 10
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク