ちょっと気休めに



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明智光秀
明智光秀


まったく暑い日が続いています。
気温35度、日中、ちょっと放置したボクの事務所部屋の中は、温度計が48度までなのですが、なんと室内温度が、いっぱいまで上がっていたりします。

こう暑いと、頭もボーっとしてくる(笑)

あんまり暑いので、今日は、ちょっと肩の力を抜いて、たわごとを書いてみようかと思います。

「僧兵」という言葉は、みなさんご存知のことと思います。
日本の古代から近世初頭にかけて、暴れまわった僧形の武者です。
お寺に所属する武装集団で、有名なところでは武蔵坊弁慶などがいます。

僧兵は、もともとは、「法師武者」とか「僧衆」です。
「悪僧」ともいいます。
この場合の「悪」というのは、「強い人」という意味です。
「僧兵」と呼ばれるようになったのは、江戸時代からのことなのだそうです。

この「僧兵」というのは、いまでいったら、反日左翼の武装集団みたいなものです。しかも彼らは当時の仏教界という豊富な資金源と広大な寺社領に守られていた。

彼らは、都に出ては「強訴」を繰り返し、好き放題に暴れまくります。
「平家物語」の巻一には、白河法皇が天下三大不如意として、賀茂河の水(洪水)、双六の賽(サイコロ)、山法師(僧兵)をあげて嘆いたという逸話が残されている。

いまでこそ仏教界といえば、平和的かつ温厚な世界ですが、飛鳥、奈良、平安の頃には、たくさんの僧兵を抱えた、ものすごく武闘的な政治的軍事的圧力集団だった。

おかげで、飛鳥朝の時代には、天皇が変わるたびに都を移転しています。
地元に巣食う武闘宗教勢力から、ある意味、朝廷が逃げ回っていた。

奈良の都を捨てて、京の都に遷都が行われたのも、僧兵たちが度々神輿を繰り出して強訴に及んだからということも、いろいろな記録に書かれています。

そもそも仏教は、本来は静かな祈りの集団であったはずなのだけれど、大陸から日本に渡来した仏教は、当初はやや異なる様相を見せています。

というのは、日本にもともとある神道は、昔は現世利益を解いていません。
交通安全のお守りとか、安産のお守り、病気快癒のお守りなどが登場するのは、神社とお寺の境界線が曖昧になった江戸時代にはいってからのことで、もともとは浄化と感謝だけです。

これに対して、後発で渡来した仏教は、現世利益を説いた。
信じれば病気が治る、怪我をしない、暮らしが豊かになるし、恋も叶う。

「あの人と結ばれたい」と思っても、神道なら、「それならお祓いしてあげましょう」というだけで、結ばれるかどうかは、あなたの精進努力次第です、となるけれど、渡来仏教は、「わかりました。あなたが仏を信じれば望みは叶います」とやる。その大がかりなものが、加持祈祷です。

考えてみると美味い話なのですが、直接的に願いが叶うというのですから、そりゃあ仏教には人気がでます。
こうして日本にやってきた渡来仏教は、全国から寄進を集め、大繁盛する。
経済的にも莫大な力を持つようになり、豪華絢爛な仏閣を建てます。
資金力があるから、政治的にも大きな力を持ち始めます。
パチンコ業界が、隠然たる政治的影響力を持つのと同じです。

日本に仏教が伝来したのは、日本書紀によると552年のことです。
この年、百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上した。

それからわずか42年後の西暦594年には、推古天皇によって仏教興隆の詔が発せられています。すさまじい政治力です。つまり仏教勢力が、政治勢力になった。

経済力だけでなく、政治的保護まで得た渡来仏教勢力は、専業の兵士(僧兵)を雇い入れることで、軍事的にも強大な勢力となります。

とにかく彼らは神輿を担いで、暴れまわるのだから始末に悪い。
なにせ神輿は天皇によって興隆の詔が発せられている。
神輿==正義なのです。

おかげで彼らはやりたい放題になった。
特アの政治的影響力を受けた総理が、Chinaや韓国に「多大な迷惑をかけた」と発言すれば「迷惑をかけたのだから、その賠償をしろ」とカネをせびられ「迷惑をかけたのだから英霊への参拝をするな」といわれれば、ハイハイということを聞いて、閣僚全員が靖国参拝できなくなる。
それと同じことです。

結局、平安時代では、後期に源平といった武士団が登場するまで、朝廷は武力すら持たない政治府となります。
武力を持ち、これを行使するのは、もっぱら渡来仏教団体のいわば専管事項だったわけです。

武士団というのは、こうした中央の渡来勢力に対して武器を持って立ち上がった集団でもあるわけですが、それでも信仰が絡む武装宗教団体に対しては、抵抗できないでいた。

こうした武装宗教団体に対して、真っ向から対決をはかった者としては、信長の比叡山延暦寺への焼き討ちが有名ですが、実は、それよりもずっと以前、足利幕府の三代将軍足利義教が、比叡山延暦寺への大討伐を行った。これが最初です。

それでも足利時代を通じて、渡来仏教の武装解除には至っていません。

実際に、宗教団体から武装を奪うのは、なんと秀吉の時代になってからの出来事です。
秀吉は、圧倒的な富と武力を背景に全国の刀狩りを行い、全国の民と宗教団体から武器を全部回収した。

以降、日本における宗教団体は非武装の集団となります。

ちなみに、いろいろ書いていますが、ボクは別にこの稿で仏教を非難するとか否定するつもりはまったくありません。
ただ単に、武器を持つから暴れる。武器を持つから悪さをする。
完全に武器をとりあげ、武力を政治権力の専管事項にしてしまうしか、人々の争いに終止符を打つことができない、というのが歴史の真実である、と言いたいだけです。

世界で戦争が絶えません。
武器がなければ、せいぜい殴り合いのケンカに留まりますが、たとえばマシンガンもようなものを持っていれば、自分はなんら痛い思いをせずに、気に入らない奴を眼の前から消したり、欲しいものをなんでも手に入れることができる。

だから武器を捨てましょう!といったところで、そんなものはお題目にすらならない、というのが歴史の真実です。

武力を持たなければ、持つ者にいいように利用され収奪されるのがオチです。
きれいごとでは悲惨な目に遭うのが現実です。

戦後の日本で、成田闘争や東大安田講堂事件などの左翼による暴動が起こっていますが、彼らの持ち物が、せいぜい角材や鉄パイプだったからまだよかった。

もし、日本が世界と同様に銃の所持が認められる社会だったら、あの成田事件や安田講堂事件は、すさまじい血の嵐の吹きすさぶ事件となったであろうことは想像に難くありません。

周辺国に武器を持つ者たちがいる。そういう政治的状況のもとで、自国の平和と繁栄を本気で願うなら、自ら武装し、どこも、誰も戦いを挑んでこないだけの圧倒的軍事力を持つしかない。

だから武力は、敵を倒すこと以上に、身を守り、自国の平和を維持するためのものなのです。

戦後65年、世界でこの65年間の間に戦争をしていない国は、日本とスイスだけです。

日本が戦争に巻き込まれずに済んだのは、日本人が武器を持たない、武器が政府の専管事項だったということと、米国の書くの傘に守られたからです。

スイスが戦争をしていないのは、スイスが強烈な愛国心に育まれた国民皆兵の国であり、スイスと戦うなら、スイス人全員を相手取って闘い続けなければならないからです。それは猛烈な消耗戦になるに違いなく、そうなると誰もスイスを攻めようなどと思わない。

平和と安全、言いかえれば国民の生命と財産の安全は、口先で平和を唱えれば維持できるというような生易しいものではない。

もし、世界から本気で戦争を終わらせたいと願うなら、信長や秀吉、あるいは家康がやったように、最低でも世界の3分の1を完全に勢力下におさめ、世界中の誰にも勝てないだけの圧倒的な軍事力を保持し、そのうえで、世界の国と人々からあらゆる武器を取り上げるしかない。
それが現実だ、ということです。

そしてそれを群雄割拠する日本で現実にやってのけたのが、信長、秀吉、家康の三代だった。

そのかわり、信長は、我が身を犠牲にしています。

信長は天下の3分の1と、中央政府を手に入れました。
これは圧倒的な軍事力です。
その力をもって、武装宗教勢力である比叡山延暦寺、一向宗の本部である本願寺を攻め、僧兵たちを完全に武装解除させています。

おかげで、信長は「第六天の魔王」と称されるようになった。
「第六天の魔王」というのは、魔王の中の最大かつ最強の魔王のことです。

信長は天下をほぼ統一し、武装宗教勢力まで退治したけれど、おかげで宗教的信仰真に裏付けられたゲリラに常に命と織田政権の転覆を狙われるようになったのではないかと、ボクは思っています。

これは、非常に重要なことで、せっかく全国の大名たちを従え、武力を織田政権下の管理下に完全においたはずなのに、織田政権の内部にいる宗教勢力が、常に織田政権の転覆と、信長の命を狙うことになったわけです。

おそらく信長自身、このことをよくわかっていたのではないかとボクは思っています。

「第六天の魔王」という信長の別称は、これは信長=最悪の魔王である、ということを意味します。
普通、権力者は、自分をこういう言い方で呼ぶことを好まない。

むしろこの呼称は、信長自身が好んで流布させたものなのかもしれません。
どういうことかというと、天下人となった信長が、延暦寺や本願寺を滅ぼした張本人であり、第六天の魔王ということになれば、宗教ゲリラの狙いの矛先は、信長ひとりに絞られる。

そうしておいて、信長が誰かに殺されたら、武装宗教ゲリラたちは、その攻めの矛先を失い、とりあえずは沈黙をせざるを得ない。

そうしておいて、全国で刀狩りをして、国民から武器を全部取り上げたら、これ以上戦争は起こらない。

もし、そうであるとすれば、もしかすると信長は、もっとも日本の歴史と文化と伝統に詳しい光秀にあえて命じて、自分を殺させる大芝居を打ったのかもしれません。

大名たちは、いわば軍閥です。
より強大な軍事力をコチラが持てば、黙って調伏できます。

しかし武装宗教勢力は、たとえコチラ側がどんなに強大な武力をもってしても、彼らは信仰によって戦いを挑んでくる。
これはやっかいです。
といって、宗教人を皆殺しにすることはできない。
家臣団の中にも、信仰に厚い人はたくさんいるのです。

明智光秀が起こした本能寺の変は、信長の命を奪った事件ですが、このとき、本能寺で信長の遺体はあがっていません。

本能寺は、事変のときの火災で焼け落ちていますが、普通、木造家屋の火災程度では、焼死体が残るものです。

一説によれば、信長の遺体が発見されなかったのは、本能寺が京における信長の出先機関であり、本能寺の地下には織田軍団の火薬が大量に保管されていて、これが火災とともに大爆発を起こしたせいで信長の遺体があがらなかったという説があります。

そうなのかもしれません。

ただ、これはあくまでボクの空想なのだけれど、本能寺の変における光秀の謀反というのは、実は、信長が光秀に命じた大芝居だったのではないか、などとも思えます。

なぜなら、国内に隠然とした実力を持つ武装宗教勢力の影響力を廃し、国内に治安と平安をもたらすためには、討伐を行った信長自身が自称「第六天の魔王」となり、すべての非難の矛先を自分に向けた上で、できるだけ派手に死亡するのが望ましい。

病死ではダメなのです。
側近に裏切られて歯がみして死んだとでもしておかないと、武装宗教勢力は溜飲を下げない。

だとすれば、自分ができるだけ派手な演出で裏切られて死亡するという事態を、誰かにやらせなきゃならない。

そしてその適任者は、織田軍団のなかで、どうみても光秀しかいません。
由緒ある家柄の出で、歴史や伝統に詳しく、朝廷や仏教界からも信任が厚い人物といえば、それは光秀だけです。

しかし光秀は、主君を討てば逆賊の汚名を着せられることになります。
光秀も誰かに殺されなければならない。
そしてその者が天下人になる。

その者は、宗教以上に人々に夢と希望を与えることができる人物。それはすなわち百姓から身を起こした木下藤吉郎(秀吉)しかいない。

どんな宗教の現世利益のご利益よりも、現実の利益を象徴する人物です。

しかし、秀吉の成長志向も、天下が治まり、戦乱がなくなれば、もはや人々に成長や出世の機会はなくなります。

これもどこかで終わらせなければならない。
そしてそのときには、本当の意味で、国内の治安が回復した新政権が誕生しなければならない。

そして百年の長きにわたり戦乱の渦に呑まれた日本で、本当の意味で治安と平和を回復し、これまでにない、まったく新しい新政権を発足させて絶対平和の世の中を築くためには、それができるだけの才覚を持った人物が必要です。

大将はいいのです。
それなりの貫禄があればよい。

しかし、具体的に新政権を発足させて、未来を築くというのは、その大将の絶対の信任を得た相当のキレ者が必要です。

新しい国家のカタチを、まるっきり新規に築くのです。
並みの才覚では勤まらない。

このことは、いまの国会議員でも同じです。
仮に日本国憲法を無効化して、まったく新しく、日本の古くからの歴史と伝統と文化に基づく新生日本を築こうとするとき、そこには細かな行政の仕組みづくりや新たな国家体制構築のための組織、体制の青写真を描く人物が必要です。

残念ながら、いまの国会議員の中で、これができるだけの才覚を持った人物を探すとなると、?です。
これだけのことができる才覚者というのは、そうそういるものではないのです。

織田家臣団の中で、その才覚をもった人物というのも、光秀しかいない。

光秀は、秀吉に負けて百姓の竹やりで殺されたということになっているけれど、本当にそうなのでしょうか。
光秀ほどの剛の者が、そうそうたやすく素人の百姓に殺されたりするとは、あまり考えられません。

むしろ、常識的に考えれば、光秀は「暗がりで百姓に殺害された」ということにして、身分と名前を捨て、どこかで生かして、光秀の才覚を活かすことを考えた方が、どうかんがえても合理的です。

実際、不思議なことに、天下の大逆人であるはずの光秀の子供たちは、細川家であったり、織田家であったりして、みんな生き残っている。

ふつう逆臣の係累というのは、全員殺されるのが普通です。

家康が江戸幕府を開いたとき、新たな国の枠組みを決めるのに大いなる貢献をしたのが、天海僧正です。
天海僧正は、新しい天下の枠組みだけでなく、行政機構の整備や徳川幕府の人事、寺社仏閣等のハード面のすべてにおいて、家康の名代としてこれを統括しています。

ところが、これだけ重要な職務を遂行した天海僧正というのは、不思議なことに出自がまるでわからりません。
しかも僧正というくらいですから、仏教徒としても相当な高位にのぼったひとのはずなのに、若い頃どこの寺で修行し、小さい頃にどんな逸話があったのかといった話が、まるで残っていない。

歴史上、突然「僧正」として登場し、家康の側近となり、江戸幕府の慣例、しきたり、江戸幕藩体制の仕組み作りから、日光東照宮のような文化施設まで、ことごとく作っているのです。
これはちょっと変です。

実は、三代将軍徳川家光の「光」の字は、光秀の「光」、二代将軍徳川秀忠の「秀」は、光秀の「秀」から名前をもらったという説があります。

家光を育てた春日の局は、光秀の重臣の娘ですが、彼女がはじめて天海僧正に会ったとき、春日局が「お久しゅうございます」と言ったという話が遺されています。

天海僧正が作った日光東照宮の紋所は、なぜか光秀の家紋である桔梗です。
さらに日光には、なぜか「明智平」というところがあり、東照宮の陽明門には、なぜか桔梗紋を身に着けた武士の像が置いてある。それが誰の像なのかは誰もわからない。

もっというと、大阪の岸和田にある本徳寺には、光秀の位牌があるのだけれど、そこには、光秀が慶長4(1599)年に寺を開いたとされている。
これは、あれれ?です。
なぜなら、本能寺の変、山崎の戦いで光秀が死んだのは、天正10(1582)年だからです。
つまり、1582年に死んだはずの光秀が、その3年後に寺を建てたというのです。

その本徳寺には、光秀の肖像画も残されています。
その画には、「放下般舟三昧去」という文字がある。これは、光秀が出家して僧になったという意味です。

もっというと、家康ゆかりの地の江戸(東京)、駿府(静岡)、日光(栃木)、佐渡(新潟)と、光秀ゆかりの地(美濃源氏発祥地)の土岐(岐阜)、明智神社(福井)を線でつなげると、籠(かご)の網目のような六角形ができあがります。

童謡の「かごめかごめ」は、

 かごめかごめ
 カゴの中の鳥は
 いついつでやる
 夜明けの晩に
 鶴と亀が統べった(すべった)
 うしろの正面だーれ

という歌詞ですが、「かごめ」は、地理上の大きな籠目を指します。
「カゴの中の鳥は」は、明智一族発祥の「土岐(とき氏)は」とも聞こえます。

家康と光秀を線でつないだ籠の目の中の土岐氏は、「いついつでやる」です。

そして「夜明けの晩に」は、日の出のときです。つまり「日の光」が射すとき。日光です。

その日光東照宮の屋根には、「鶴と亀」の像がある。

その「鶴と亀」が「統べた」統治する。

ここまでの意味をつなげると、「土岐出身の光秀はいつ日光東照宮に姿をあらわすのか」となり、

「うしろの正面、だあれ」と続く。

後ろの正面というのは、土岐から日光のほうを向いたときの地理上の後ろ側、つまり、大阪の岸和田で、そこには光秀の位牌と肖像画のある本徳寺がある。

つまり、「かごめかごめ」の童謡は、暗に天海僧正が光秀であることを謳った童謡であるという説もあります。

以前、テレビで、そんなふうな扱いをしている番組があったように記憶しているけれど、この話には無理があります。
なぜなら、天海が光秀であるとすると、116歳(記録では108歳)で没したことになり、当時の平均寿命からみて、到底無理だからです。

実際には、光秀の息子が天海であったというのが、ほんとうのところなのでしょう。
そして明智の血を引く優秀な天海が家康の側近として、その辣腕をふるった、というのが正解であろうと思います。

そもそも光秀が信長を討つ必然性が「信長に頭を扇子で叩かれた」というのでは、あまりに説得力がない。

そんなところから想像力を膨らませると、さらに本能寺の変も、むしろ信長の命によって行われたもの、という気もしてきます。

だからどうだってことはありません。
実際のところはわからない。 闇の中です。

ただ、あたりまえのことですが、戦国の世に生きた多くの人たちの最大の願いは、おそらくは太平の世の中、戦のない世の中ではなかったかと思うのです。

しかしその理想の実現のためには、自ら第六天の魔王と名乗り破壊王となった信長、現世利益を説く既存の仏教団体以上に明確な現世利益を体現した秀吉、戦のない世の中を築くために、強大な武力と緻密な行政機構を作りあげた家康という三代が必要だったというのは、歴史の事実です。

伊勢神宮は、20年ごとに式年遷宮を行っていますが、国費で遷宮の費用が賄われなかった時代が、日本の歴史上、2つだけあります。

ひとつが国が荒れた戦国時代、もうひとつが日本国憲法下のいまの日本です。

日本が、建国以来の伝統と文化を復活させ、新たな政治の枠組みのもとに本当の意味で正しい歴史認識のできる新生日本に生まれ変わるためには、まさに信長、秀吉、家康三代の努力の積み重ねが必要なのかもしれません。
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コメント

takechiyo1949

とても面白かったです
お題は『ちょっと気休めに』ですし、ねずさんも『あくまでボクの空想』と仰っています。
タイムトラベルで見て来た人は居ませんからね。
「あり得ない」などの否定コメントも同じです。
「こじ付け」と息巻くに至っては笑えます。
こんな説もあるんだ~くらいで、たまには「ねず式時代劇」を楽しんで下さいよ。
私はとても面白かったです。

ホルス56789

はじめまして
はじめまして
<span style="background-color:#FFFF00;">大国主</span>の記事も読ませて頂きました

神話で言いますと
信長=スサノオ(<span style="background-color:#FFFF00;">大国主</span>を見出だす)
光秀=<span style="background-color:#FFFF00;">大国主</span>(二度死にながら神々の包括的存在へ)
に思えます

光秀も<span style="background-color:#FFFF00;">明智光秀</span>として
そして千利休切腹と二度死んで
<span style="background-color:#FFFF00;">天海</span>で天下と宗教界をまとめる事ができた

私は三者が同一人物かはわかりませんが違うとしても同じ意志を受け継いだ人物と思います

神話では<span style="background-color:#FFFF00;">大国主</span>は国譲り後にヤタガラスとして日向(神武天皇)を導きますが
光秀は日向守光秀でした
そして頭文字をとって
二荒を日光と当て字を

幕府が役目を終える時に明智の子孫を名乗る桔梗紋の坂本龍馬が現れますね
「 世の人は 我を何とも 言わば言え 我なす事は 我のみぞ知る」
龍馬

「 心知らぬ 人は何とも 言はば言へ 身をも惜しまじ 名をも惜しまじ」
光秀

東日本の震災と原発事故

日本を自ら考えるようになってきた市民意識

日本人が知恵と団結を持てば天下統一と明治維新の如く日本復興は必ず成ると考えています

伝次

No title
蛇足ですが、織田家は先祖代々熱烈な尊皇家でした。
地盤である尾張の人々からして尊皇家が多く(今では売国議員も選出していますが)、
江戸時代に入ると尾張徳川家もすぐに尊皇家となり、朝廷人事や本来朝廷が管轄していた寺社の人事に口を挟む江戸幕府と何度も衝突しました。

信長が晩年、朝廷の位を返上したり正親町帝に諫言したり公家衆を叱責したりもしたので、後世では魔王のように言われることもありますが、死ぬまで尊皇家でした。
信長は足利義昭はじめ武家や寺社、公家衆にも皇室を敬うよう何度も手紙を出しています。
遠方の大名が朝廷に献金や贈り物を行うと、自分に贈られた時よりも喜びました。
右大臣の位は返上しましたが、家督を継がせた信忠を昇進させてくれるようにと公家衆に懇願しています。
信長が右大臣の位を返上したのは朝廷権威の否定ではなく、単に後継者を引き立てるためでした。

信長は権威の否定者、革新の人と言われますが、実像は違います。獲得した領地はすぐに家臣や降った武将に与えてしまい、直轄領も直属の兵士も僅かでした。
敵対しない限り、寺社にも寛容でした。例えば越前では前田利家たちが寺の領地を横領したことがありました。利家は信長お気に入りの家臣でしたが、信長は寺の訴えを聞いて側近の菅谷長頼を調査に派遣しました。菅谷は利家たちの妨害活動にもめげず、事実を調べ上げて信長に報告しました。そして報告を受けた信長は利家たちばかりか寄親の柴田勝家をも激しく叱責し、横領した領地を寺に返還させました。
このように公正な秩序の守護者の一面があったのです。

信長の後を継いだ信忠も尊皇家でした。
本能寺の変で誠仁親王がおられた二条御所に立て篭もったのは問題ある行動ですが、突然の謀反を起こした明智軍の行動や光秀の意図が信忠たちには分からないので、まず親王様を守ろうとしたという説もあります。誠仁親王は織田家中から熱烈な崇敬を受けておられた方でした。
また、明智軍が信忠たちを包囲したのは、本能寺を攻め落としてからでした。
明智軍の展開は明らかに鈍重で、信忠には逃げる時間がありました。
しかし信忠は逃げず、遅れて城を囲んだ明智軍(以後しばらく京都を守護することになる)と交渉して親王様の無事を約束させました。
そして親王様の脱出を見届けると、一部の家臣を脱出させて信忠自身は御所に留まり、明智軍と戦い自害しました。
信長・信忠親子と明智光秀の関係は良好でしたが、本能寺の変により壮絶な戦いを行うことなってしまいました。

いずれにせよ、信長・信忠が尊皇家だったことは事実です。もしかしたら彼らにとってそれは特段誇ることではなく、当たり前のことをしただけなのかもしれません。
そして彼らを滅ぼした光秀も、その光秀を討った秀吉も尊皇家でした。

伝次

No title
本能寺の変は明智光秀の重臣・斎藤利三が首謀者という説があります。
言経卿記など情報通の公家たちが残した日記には、謀反の首謀者と名指しで記されています。
ただし噂を書き留めたか、それぞれの著者が確かな情報源を持っていて事実を記したかは検討する必要がありそうです。

利三は幕臣と親戚でした。また長宗我部元親の義兄でもあります。
当時の武士は農・工・商を兼ねていることが多く、特に活発な交易を行なっていました。
利三も人脈が広く権勢があり、彼を重用した主君の稲葉一鉄と激しく喧嘩することもありました。
その利三が主家を出奔して次の仕官先に選んだのが明智光秀でした。
出奔と言っても裸一貫で逃げ出すわけではありません。妻子も家臣も資産も人脈も利権も明智家に持ち込んでいます。
光秀は室町幕府を滅ぼした時、多数の幕臣を家臣に組み込んでいます。明智家は利三にとって顔見知りの多い、居心地の良い場所になっていたのでしょう。
また多くの幕臣が四国に逃れ、長宗我部元親の庇護を受けています。
さらに利三は、多数の四国出身者を明智家に登用させています。彼らの多くは元親に敗北して逃れた人々ですが、彼らの親族は四国にいて元親の家臣になっていて、縁は繋がっています。

利三が幕府、長宗我部家と深い関わりがあると言っても、それで本能寺の首謀者と決め付けることはできません。
ですが利三は光秀の重臣であり、自身の武勇や知略が優れていただけではなく、上記の人脈とそれを用いた交易を行う実力者でした。
幕臣や幕府と関わりの深い丹波衆、そして四国衆を抱え込むことで巨大化した明智家での利三の権勢はかなりのもので、そのことは各資料に記されています。
そして利三は先鋒隊を率いて本能寺を襲った武将です。

そもそも主君の明智光秀はルイス=フロイスが記録に残すほど信長を尊敬した人物で、
信長が行ったとされる後世では残虐と見なされた作戦(誇張な捏造も多いのですが)の多くを主導しています。
坂本商人を襲い延暦寺を焼いて資本と利権を奪い、信長を裏切った室町幕府を早々と見限って攻め降し、
越前加賀の(本願寺顕如も嘆いたほどカルト化していた)一向一揆掃討作戦では、斬り捨てた一揆衆の数を秀吉と競い合い、
親戚になっていた荒木村重が謀反した時は真先に光秀が動いて寄騎衆の切り崩しを行いました。
(余談ですが村重の家族を処刑する方法を考え提案したのは前田利家です)

1582年になっても光秀と信長の関係は全く良好でした。信忠との関係も良好な光秀の老後は安心設計です。
信長は光秀を足蹴にしたことなどないし、家康饗応の接待役の交代は当初予定通り。
四国征伐は光秀の寄騎たちも参加する予定で、光秀は信長や丹羽長秀と軍の編成について相談しています。
少なくともこの時点ではもう光秀に長宗我部家を助けるつもりなど全くありませんでした。

本能寺の変後、光秀の行動は鈍重でした。
手紙を書くのも送るのも遅く、軍を動かすのも遅かったため各地の拠点制圧は後手後手に回り、光秀の謀反を見て同調した一部の武将たちと連携もできず、公家衆に仲介を懇願しても動いてもらえず、追い詰められていきました。
そんな主君とは対照的に、利三は明智軍を率いて各地に出陣、奮戦しています。
山崎の敗戦後、利三は逃亡しますが、秀吉軍の追手に捕らえられました。
そして京都に連行されて公開処刑されました。

杜若

No title
スカーレット さん

私はどちらかといえば、素直に忠臣蔵を表現した方が好きです。最近の忠臣蔵は「47人の刺客」とか、どちらかと言えば番外忠臣蔵みたいのが多くて楽しめる作品が少ないのがちょっと物足りません。
私としては、タオルをぐしょぐしょにするぐらい泣けるのが好きなんですが、、、。

こういうのは、やはり録画した昔の作品を見るしかありませんね。

スカーレット

面白かったです!
今日のお話は浪漫を感じて、ワクワクしながら、読ませて頂きました。
最高に面白かったです!!

で、信長・秀吉・家康の性格を的確に表現する言葉がありましたよね。
信長・・・「鳴かぬなら、切ってしまえ、ホトトギス」
秀吉・・・「鳴かぬなら、鳴かしてみよう、ホトトギス」
家康・・・「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス」

余談、今年の暮れ頃、「最後の忠臣蔵」と言う映画が封切り予定だそうです。
大石内蔵助に隠し子があった・・・というストーリー展開だそうですが、これも今までの忠臣蔵の物語と違う解釈で、面白そうです!

素浪人

土岐氏後裔
伝うちのジイサンだが、我が家は、美濃土岐氏末裔だと聞いたことがある。土岐氏の末裔なんて、日本中にいるんだろうけど。

明智は土岐氏の出と言われているから、我が家でも、光秀の悪口を言ったことがない。領民には慈悲深かったと言うし、家臣も大事にした。だから、今でも、そんなに悪いやつだったとは思えない。戦国時代にしては珍しい、伝統護持派的な行動が目立つ所も、家系云々を度外視して、魅力的な人物だ。私だったら、信長・秀吉・家康より、こういうタイプの人間の下で働きたい。

天海僧正説は、以前から言われて来たが、否定説も肯定説もあり、どうもよく分からない。DNA鑑定でもしないと、証明出来ないのではないだろうか。

惟任日向

第六天魔王について
初めまして。

>むしろこの呼称は、信長自身が好んで流布させたものなのかもしれません。

イエズス会の宣教師で「日本史」の著者ルイス・フロイスが同僚のに宛てた手紙の中で、信長は第六天魔王信長を称したと書いているそうです。

信長が比叡山を焼き討ちした後、武田信玄が抗議の書状を信長に送った際、自分のことを「天台座主信玄」と名乗ったのに対して、信長が自分のことを「第六天魔王信長」と書いて返書をしたそうです。

山河

戸井田先生の「丸坊主サロン」8月は 『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』を上梓されたばかりの著者、水間政憲さんです。
こんにちは!
お近くの方駆けつけて盛り上げてください!
宜しくお願いします。

★〇★〇★〇★〇★〇

戸井田先生の「丸坊主サロン」8月は
『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』を上梓されたばかりの著者、水間政憲さんです。

以下一部転載~~

※8月の「丸坊主サロン」は、下記のとおり行います。

 日時 8月21日(土)14:00~16:00
 講師 水間政憲氏(ジャーナリスト)
 演題 『日韓の正しい歴史』
 (日韓の資料本《朝日新聞が報道した「日韓併合の真実」》を出版されましたので、関連してお話頂きます。)
 当日、《朝日新聞が報道した「日韓併合の真実」》は販売いたします。先着50名まで、水間氏のサイン入り。
 会費 ¥2,000

~~転載ここまで~~

http://toidahimeji.blog24.fc2.com/



詳しくは知りませんが、水間さんが「中国遺棄科学兵器問題」を雑誌に寄稿された頃、戸井田先生の方から水間さんに連絡が入り、その問題を国会で取り上げた事によって大きく進展し、その後も、「南京の実相」でもご一緒でずっと同士として連携をされている間柄です。此方が知らないだけでまだ色々とエピソードはあるのかもしれません。

これからも国益最前線の為に連携を続けられ、日本の建て直しに頑張って頂きたいものです。


今度、水間さんは10月の臨時国会に向けて、現政権の「日韓併合謝罪談話」を傷物にすべく、計画を着々と進められているという事です。

それまでに、『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』の周知拡散させて、一大キャンペーンを引き、日本人に広くこの本を読んで頂きたいと思っています。そうやって世論を盛り上げる事によって、この政権を追い込み「謝罪は間違いだった」と言わせる事が可能になります。


是非、日本を守りたいと保守を自認している方はエネルギーを此方に向けて頂きたいものです。

日本人の誇りが持続できるかどうかの瀬戸際です。

頑張って、出来るだけ可能と思われる方法でどんどん周知をお願いします。

みちお

No title
「光秀天海僧正説」楽しく拝読しました。
よく聞く説ですが、ありえません。
最大の理由は年齢です。
明智光秀は大永6年~天正10年(1526~1582)。56歳か?
天海は天文5年~寛永20年(1536~1643)。108歳と伝えられる。
仮に天海が明智光秀であるならば、118歳で死亡した事になります。
天海は元和9年(1623)より三代将軍家光に仕え、東叡山寛永寺を開山しています。開山時には100歳に近かったと伝えられますが、天海が明智光秀であるならば、110歳に近かったことになります。
人間50年の時代に108歳でもすごいと思うのに、118歳まで生き、最後まで徳川幕府の中心に居続けた。こんなこと考えられるでしょうか? …というか人間でしょうか。
天海が明智光秀の10歳下の弟、いえ、本当は生没年不詳ということですから実は天海が明智光秀の (安土城で死んだはずの) 息子というのなら分かります。この場合天海は108歳ではなく90歳程度で死んだことになり、これならば春日局がはじめて天海僧正に会ったとき「お久しゅうございます」と言ったという話も含めて納得できます。
なお、諸説ある中で「蘆名家につながるという説」が有力ではあるようです。

「本能寺の地下には織田軍団の火薬が大量に保管されていて、これが火災とともに大爆発を起こしたせいで信長の遺体があがらなかったという説」も聞いてはいますが、確率は低いようです。それだけに余計謎ですね。

明智光秀が土岐氏の支流である明智家の出身であるというのも疑問。
明智家の家紋は「丸に桔梗」ですが、明智光秀は丸の無い「水色桔梗」を使っています。但し、明智光秀のお墓に行ったことがありますが、明智光秀のお墓の家紋は「丸に桔梗」でした。
光秀は若いとき仕官先を求めて放浪したと伝えられますが、本当に名門明智家の人間なら仕官先を求めて放浪する必要は全く無い。仕官先なんていくらでも見つかる。
まだまだ細かなことはありますが、越前の亀屋の倅だったという説もあります。

あと足利幕府の三代将軍は足利義満で、足利義教は六代将軍です。

「本能寺の変における光秀の謀反というのは、実は、信長が光秀に命じた大芝居だったのではないか」は浪漫ある説ではありますが、無いと思います。失礼を承知で言えば単なるこじ付けですよ。
信長は朝廷(天皇)に戦争を仕掛けようとした。
刀一振りする力も無い朝廷・公家の持つ隠然とした力は、源頼朝や徳川家康があえて京から遠く離れた鎌倉・江戸で幕府を開いたこと、京に本拠を置いた室町幕府が全く安定せず、崩壊に追い込まれたことでも分かります。
今でも全く権力が無いはずの天皇家が、日本国民の精神の支柱になっているのですからね。
信長は天皇家を柱とする日本ではなく、自分を柱とする別の日本を作ろうとした。だからこそ右大臣という官職を返上し無位無官となり、天皇・朝廷に戦争を仕掛けようとした。それを未然に防いで天皇家を柱とする日本の国体を守ったのが明智光秀でしょう。
そしてあくまでも結果的に、日本のため天下のため「すべての非難の矛先を自分に向けた上で」「死亡」したのでしょう。

別にねずきちさんにケンカを売る気は無いので自説を展開するのは止めにしますが、「日本が、建国以来の伝統と文化を復活させ、新たな政治の枠組みのもとに本当の意味で正しい歴史認識のできる新生日本に生まれ変わる」必要があるのは同感ですね。
浪漫ある説をありがとうございました。

A/H

No title
ただ今、メールを送らせて頂きました。
「構ってちゃん」を決して相手にしてはいけません。

竹心

No title
友人の居た岐阜県の山中を歩いていた折、光秀の生誕の地にいき、光秀の墓標に参拝した事があります。末裔の方が神主をしていました。その時の話で、光秀は生きながらえ関が原の戦いに参加すべく家康と繋がっていたと言います。しかし、前夜の集中豪雨で流され参戦できなかった
。しかし、かれの士気は関が原に届き勝利を収めたと話されました。当時は良く理解できなかったのですが、その地は今も残って居り。主君を殺した者は永らく世に名を出せないのだとも言われました。その地に再び言ってみたいものです。竹心

やまとねこ

鳥肌が立ちました!!
確かに真実はどうなのか今になっては闇の中ですが、仮に真実だとしたらなんてスケールが大きいのだろうと思います。
私の乏しいボキャブラリーのコメで恐縮ですが。
色々知りたくなりましたが闇のままにしたほうがいいのかもしれません…。でもまた教えてくださいね。

愛信

民主代表選、強まる小沢氏待望論 研修会で
民主代表選、強まる小沢氏待望論 研修会で
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E3EBE2E0988DE3EBE2EAE0E2E3E29C9CEAE2E2E2;at=ALL
とはいえ小沢氏出馬のハードルも高い。
市民から選ばれた検察審査会は政治資金
規正法違反事件を巡る小沢氏の強制起訴
の是非を検討中だ。小沢氏周辺には「首相
になれば起訴されない」との正面突破論も
あるが

「政治と金」贈収賄事件の主犯犯罪者を総理
にしたら、日本の国民資産や税金を泥棒に差
し出すのと同じ事。 反日売国マスコミ・テレビ
局もいい加減にしろ。

【経済・政治の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj.cgi
【政治・経済タイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

町工場の親方

お奨め
チャンネル・桜、の、「桜プロジェクト」、木曜日は、水島社長が登場しますが、社長が出るだけあって、ゲストにはよく大物の識者が登場します。
昨夜は、西尾幹二・電通大名誉教授が出演され、30分以上にわたり、縦横に論じられました。
最近、猛烈に劣化・反日化しているNHKなどではまかり間違っても聞けない貴重な番組です。
例えて言うと、クサク、非常に悪酔いする、濁酒、(どぶろく)、と辛口の質の高い日本酒の違いのようです。

是非とも視聴をお奨めいたします。

今朝いつものように、M.P.J..(メディア・パトロール・ジャパン)、を開けると真っ先に、昨夜の放映が紹介されていました。
その後、M.P.J.から消えましたが、チャンネル・桜で視聴できます。

M.P.J.の、『日本を大好きな人たちのブログ』、の中の、

花うさぎさんの、「世界は腹黒い」、
《どうにもならない「岡本行夫の自虐史観」》
では、西尾幹二・名誉教授が放送の後半、痛烈に批判した、岡本行夫、について述べられています。

岡本行夫は外務省に屯する、栗山尚一、同様のリベラル派で、GHQ史観に立つ連中の一人です。彼らの言っていることを聞くと、過去を一生懸命誠実に生きた、日本国民に対する愛情がまったくありません。
外務省には、故・村田良平氏のような、日本の国を思う、立派な外交官もいる反面、ヘンに左がかったのが多くいます。
NHKは一目で左翼とわかるのばかりでなく、この手の、岡本のようなのを今後何かと使ってくるでしょう。
しかし、ネットの時代、多くの優れた論客からはとっくにその言論のいかがわしさは、見抜かれているのは幸いです。

菱海

破壊と建設
「光秀天海僧正説」楽しく拝読させていただきました。ありがとうございました。事実の真偽はともかく、こうした歴史の一連の流れから浮び上がるのは、私たち日本人の先祖は、伝統を守りながらも、しかし時として大胆な変革と新制度の構築を行ってきたということであろうと思います。そしてこのことは特に、戦後日本を否定しながらも、しかし当然その先に大胆な変革と新制度の構築を見据えねばならない、換言するならば、破壊と建設を運命付けられたとも言うべき、私たち戦後日本の保守主義者が肝に銘じなければならないことだと思います。

メロンの汁。

初めまして!。信長と光秀の関係は、イエスとユダに似ていますね。ザビエルに、話を聞いた可能性はありますね。神道の家系である信長は、神示を授かり、演じきった訳ですね。

TEXAS

太閤記
この太閤記は、中学時代に夢中になって見ました。 これ以来、戦国時代からの歴史に興味を持つ様になりました。

高橋信長、緒方秀吉、佐藤光秀~~~最高に楽しかったです。 高橋幸治の信長が、あまりにも素敵であったために、NHKに「信長を殺さないで~~」と多くの嘆願書が届いたそうな~~。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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